商品コード:1310-061p[DGG] J.v.カーロイ(pf) / ショパン:Pf曲集
商品コード: 1310-061p
商品詳細:ほとんど初入荷の大変珍しいカーロイのショパン曲集。即興曲4曲と舟歌は7"で先行発売された。1954年になって、幻想曲/マズルカ/子守歌の3曲がカップリングされ、12"でリリースされた。さすがに7"は使いにくいにので、この12"をお薦めする。何より選曲が特に良い。カーロイはリスト等を得手としていた技巧派だ。1914年ハンガリー生まれで、'56年ドイツに移住。DGG社モノラル期に録音を残す(ダ・カメラに一点あり)。優れた技巧を持ちつつも、あまり派手な表現を行わない。どちらかと言えば、表情は地味である。しかし、指さばきは華麗で、早いパッセージ等にその片鱗を見せる。自然体ながら、そこはかと漂うロマンがあり、飽きのこないヴィルトーゾ。珍品。ユリアン・フォン・カーロイ( 1914 - 1993)はオーストリア=ハンガリー帝国領ルションツ(現在スロヴァキア領ルチェネツ)の生まれ。 幼少期より地元で有名なオルガニストだった父から音楽の手ほどきを受け、12歳の時にブダペストで演奏会を開いてバルトーク・ベーラの知己を得、ヴァロー・マルギットの薫陶を受けることとなった。その後、1926年にミュンヘンでヨーゼフ・ペンバウアー、1927年にライプツィヒでマックス・フォン・パウアーに師事し、1931年にパリでアルフレッド・コルトーに師事。1932年から1934年までフランツ・リスト音楽院のドホナーニ・エルネーの下で研鑽を積んだ。演奏活動は修業時代から行っており、1929年にはロンドンに演奏旅行に行って成功を収め、その翌年にはフョードル・シャリアピンの伴奏者としてロンドンを再訪している。フランツ・リスト音楽院を卒業した後はヨーロッパの主要都市でコンサートを重ねて名を上げ、1951年にはカーネギー・ホールでデビューを飾った。1932年の第2回ショパン・コンクール第9位入賞。 1933年の第1回フランツ・リスト・ピアノ・コンクール(現在・ブダペスト国際音楽コンクール)でリスト賞を受賞している。1956年のハンガリー動乱の際にドイツへ亡命し、同年にはドイツ国籍を取得したことを機にDGGに録音を始める。1972年からはヴュルツブルク音楽大学で教鞭を執った。ミュンヘンにて死去。ドイツとフランスの両方の良いところを身に着けた実力派。リストを得意としていた。ショパンは勿論ドビュッシーまでレパートリーを持つ技巧派でもある。地味に感じるが内省的な深みのあるスタイルでウィルヘルム・シュヒターとショパン: ピアノ協奏曲などの録音もある(EMI系)。ルバートは控えめながら早いパッセージも難なくこなす上手さを持つ。1950年代にはドイツ圏で大いに活躍した。
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