[DGG] J.v.カーロイ(pf) / ショパン:Pf曲集

[ 1310-061p ] Julian Von Karolyi Chopin

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商品コード: 1310-061p

作品名:ショパン:Pf曲集/幻想曲Op.49, 舟歌Op.60, マズルカOp.24-4 | 4つの即興曲(全4曲)--即興曲第1番変イ長調Op.29--即興曲第2番嬰ヘ長調Op.36--即興曲第3番変ト長調Op.51--即興曲第4番嬰ハ短調Op.66「幻想即興曲」, 子守歌Op.57
演奏者:J.v.カーロイ(pf)
プレス国:ドイツ, Germany
レーベル:DGG
レコード番号:18 068 LPM
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【ドイツでの12"の第2版】---チューリップALLE内溝, ▽M33 , フラット重量, Rights Society:BIEM, (P)なし, スタンパー/マトリクス:031507⁶ WIS/031508⁶ WS (ラウンド中文字スタンパー・DGG旧タイプ), DGGモノラル製造を示す03***で始まりレコード番号を含まないドイツ型ドイツ専用マトリクス使用, 補助マトリクス(Time Code):A6 AE/9.1.53 BB, 再補助マトリクス:面割のラウンドで幅広レコード番号あり・18 068 A/18 068 B, 両面にMade in Germanyの刻印, カッティング担当:マトリクスのイニシャルWIはハインツ・ヴィルドハーゲン(Heinz Wildhagen)を示す・他は不明, 1956年1月/1953年1月9日製造のスタンパーによる1956年頃製造分, 4つの即興曲と舟唄に別々の7"の旧番号存在する, 山吹色□M33レーベル存在すると思われる(未確認), 最古レーベル・最厚プレスではない, 更に古いマトリクス存在する, ステレオ存在せず, RIAAカーヴではない, DGG音源のDGG製作プレス, 製造:Hannover旧工場(Deutsche Grammophon Gesellschaft Pressing Plant Hannover・Werk I), ドイツでの12"の第2版, 2nd issue for 12"
ジャケット:【ドイツでの12"の第2版】---両面ツヤペラ, 濃2色刷り・ Langspielplatte (横茶文字), 表記されたジャケット番号:LPM 18 068 Hi-Fi, Price Code:なし, 背文字:あり(茶色・クリーム背景), (P)(C)なし, ジャケ裏年号:10/59, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:10.54(当ジャケットではない), 製作:Deutsche Grammophon Gesellschaft mbH, 印刷:記載なし・ドイツ製, 4つの即興曲のみ7"の旧番号存在する, 12"では見開糸縫中入ジャケット入り・裏10.54が存在する, 12"でこれより古いジャケット存在する, ドイツでの12"の第2版, 2nd issue for 12"
トピックス:4つの即興曲/舟歌Op.60:1951年頃のドイツでのモノラル録音, 録音詳細不明, 4つの即興曲は1953年頃Deutsche Grammophon Gesellschaft mbHによりコピーライト登録・同年DGG~7"45回転盤・30 127 EPLにて初リリース, 舟歌も同年7"・30 030 EPL(+バラード2番)にて初リリース, 他3曲は1955年頃ドイツでのモノラル録音, 録音詳細不明, これらがカップリングされ1954年10月に12"・18 068 LPM(チューリップALLE内溝・山吹色□M33レーベル・フラット盤・見開糸縫中入ジャケット・裏10.54のジャケット入り)にて初リリース, これは1956年1月/1953年1月9日製造のスタンパーによる1956年頃製造の▽M33 の第2版盤が1959年10月製造のツヤペラ第2版ジャケットに入るケースで1959年リリースの2版となる, カーロイのショパンは他に19 472 LPEM/136 472 SLPEM(Pfソナタ3番 他)・16 025 LPや17 139 LPE(4つのバラード)などがある, これは第2版だが希少盤ではある

商品詳細:ほとんど初入荷の大変珍しいカーロイのショパン曲集。即興曲4曲と舟歌は7"で先行発売された。1954年になって、幻想曲/マズルカ/子守歌の3曲がカップリングされ、12"でリリースされた。さすがに7"は使いにくいにので、この12"をお薦めする。何より選曲が特に良い。カーロイはリスト等を得手としていた技巧派だ。1914年ハンガリー生まれで、'56年ドイツに移住。DGG社モノラル期に録音を残す(ダ・カメラに一点あり)。優れた技巧を持ちつつも、あまり派手な表現を行わない。どちらかと言えば、表情は地味である。しかし、指さばきは華麗で、早いパッセージ等にその片鱗を見せる。自然体ながら、そこはかと漂うロマンがあり、飽きのこないヴィルトーゾ。珍品。ユリアン・フォン・カーロイ( 1914 - 1993)はオーストリア=ハンガリー帝国領ルションツ(現在スロヴァキア領ルチェネツ)の生まれ。 幼少期より地元で有名なオルガニストだった父から音楽の手ほどきを受け、12歳の時にブダペストで演奏会を開いてバルトーク・ベーラの知己を得、ヴァロー・マルギットの薫陶を受けることとなった。その後、1926年にミュンヘンでヨーゼフ・ペンバウアー、1927年にライプツィヒでマックス・フォン・パウアーに師事し、1931年にパリでアルフレッド・コルトーに師事。1932年から1934年までフランツ・リスト音楽院のドホナーニ・エルネーの下で研鑽を積んだ。演奏活動は修業時代から行っており、1929年にはロンドンに演奏旅行に行って成功を収め、その翌年にはフョードル・シャリアピンの伴奏者としてロンドンを再訪している。フランツ・リスト音楽院を卒業した後はヨーロッパの主要都市でコンサートを重ねて名を上げ、1951年にはカーネギー・ホールでデビューを飾った。1932年の第2回ショパン・コンクール第9位入賞。 1933年の第1回フランツ・リスト・ピアノ・コンクール(現在・ブダペスト国際音楽コンクール)でリスト賞を受賞している。1956年のハンガリー動乱の際にドイツへ亡命し、同年にはドイツ国籍を取得したことを機にDGGに録音を始める。1972年からはヴュルツブルク音楽大学で教鞭を執った。ミュンヘンにて死去。ドイツとフランスの両方の良いところを身に着けた実力派。リストを得意としていた。ショパンは勿論ドビュッシーまでレパートリーを持つ技巧派でもある。地味に感じるが内省的な深みのあるスタイルでウィルヘルム・シュヒターとショパン: ピアノ協奏曲などの録音もある(EMI系)。ルバートは控えめながら早いパッセージも難なくこなす上手さを持つ。1950年代にはドイツ圏で大いに活躍した。

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