商品コード:1314-007[DECCA] J.クリップス指揮/ シューマン:交響曲1番「春」, 4番

[ 1314-007 ] Schumann, Josef Krips, The London Symphony Orchestra – Symphony No. 1 Spring / Symphony No. 4



通常価格:¥ 1,650 税込

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商品コード: 1314-007

作品名:シューマン:交響曲1番「春」Op.38 | 交響曲4番Op.120
演奏者:J.クリップス指揮ロンドンso.
プレス国:英国, United Kingdom
レーベル:DECCA
レコード番号:LXT 5347
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7/6
評価/ジャケット:A
キズ情報:B面1時に極小50+微かに20回出る1cmのスレあり
レーベルタイプ:【英国でのモノラル・オリジナル】---紺/銀外溝, 12時ににMade in England(ラウンド銀文字), 10時に破線〇 LONG PLAYNG 33 1/3 RPM, 2時にffrr耳マーク, フラット重量, Rights Society:記載なし, (P)なし, Tax Code:R/T(1955年10月~1957年6月を示す)・最古, スタンパー/マトリクス:ARL-3631-1A/ARL-3632-1A (ストレート小文字スタンパー・英DECCAタイプ), DECCA規格モノラル製造を示すARL***を含みレコード番号を含まない英国型専用マトリクス使用, マトリクスのAは Guy Fletcher(ガイ・フレッチャー)のカッティング担当を示す, 補助マトリクス(3時):I/C, 再補助マトリクス(9時):1/1, 1950年代のスタンパーによる1957年頃の製造分, 金内溝レーベル存在せず, 銀外溝レーベル・フラット盤の最初期分, 旧番号存在せず, これより古いレーベル存在せず, 最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在するか不明, カッティング担当の前任者:なし, ステレオ存在せする, RIAAカーヴではない, 英DECCA音源の英DECCA制作プレス, 工場:Decca Record Co. Ltd., Pressing Plant.Surrey, U.K, モノラル・オリジナル, original for mono
ジャケット:【英国でのオリジナル】---ラウンド折返両面コートペラ・"aka scalloped" (ホタテ貝の意味), 2時に黒ベース〇6角□ DECCA RECORDS, 表記されたジャケット番号:LXT 5347, Price Code:なし, 背文字:なし(初期の証拠), (P)(C)なし, ジャケ裏年号:G.P..11-57, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:G.P..11-57(当ジャケットである・一致), 製作:The Decca Record Company Limited. London, 印刷:G.P..---Graphis Press Ltd. London, ホタテ貝の最初期分, 1956年分から両面コート・ホタテ貝ジャケットになる, 英国でこれより古いジャケット存在せず, オリジナル, original
トピックス:1番:1957年5月/4番:1956年ロンドン・Kingsway Hall・でのモノラル/ステレオ録音, 録音技師:Gordon Parry, プロデューサー:Christopher Whelan, 編集/カッティングマスター: Guy Fletcher, 英国では1957年The Decca Record Company Limited. Londonにてコピーライト登録・同年DECCAからモノラル:LXT 5347(当装丁)にて初リリース, 1960年ステレオ:SXL 2223(ED1レーベル)にて初リリース, これは英国でのモノラルの初年度リリース分の完全なオリジナル, DECCAに2/3番の録音はない, 4番は1952年11月同じオケと旧モノラル録音あり, 1番は初録音, 実はモノラルの入荷は少ない, SXL 2223は高額!演奏:★★★★★, 音質:★★★★+

商品詳細:1902年ウィーン生まれのヨーゼフ・クリップス。当時DECCAにはミスター・ウィーンことクレメンス・クラウスがいたが、彼はウィーンを出ることが無かった。そんなDECCAの窮状を救ったのがクリップス。彼は早速'50~'54年にロンドンso.の首席に就任、DECCAにウィーン直伝の録音を多く残した。ロンドンso.を強力なオケにしたのはクリップスに他ならない。ヨーゼフ・クリップス(1902 - 1974)はウィーン生まれの指揮者。弟のハインリヒ・クリップスも指揮者として知られる。1933年にウィーン国立歌劇場の常任指揮者に就任、また1935年にウィーン国立音楽大学の教授に就任した。1938年3月のオーストリア併合の後、オーストリアを去ることを強いられ、ベオグラードに移り、ユーゴスラビアが第二次世界大戦に一時期巻き込まれるまで、地元のオーケストラで働いた。大戦終期には食品工場で働いていたが、「こっそりオペラの稽古をつけたり、プロンプター席に入って指示を出していた」という伝説もある。父親はユダヤ人であり、ナチスに協力しなかった為、早く楽団に復帰したがウィーン交響楽団首席指揮者に就いたのは晩年の1970-1973年である。角のとれた優美なクリップスとウィーン・フィル(国立歌劇場管弦楽団)の芸風は英国でも評価され、1948年からDECCAへ録音を開始した。1949年頃ウィーン宮廷合唱団、管弦楽団と録音したモーツァルト:レクイエムは今もって名盤と名高い。また1950年のモーツァルト:オペラ『後宮からの誘拐』はLPにおける初の全曲録音であった。モーツァルトの交響曲は1949年頃の41番、1951年の31/39番、1953年の40番の4曲をロンドンso.と録音している。これはクリップスがロンドンso.の首席指揮者を務めた1950-1954年と一致していて、最初の黄金時代である。1946年11月にデッカに入社したプロデューサー:ジョン・カルショウが力をつけてくると、クリップスを高く評価しなかったカルショウに冷遇されるようになり、1963年にサンフランシスコ交響楽団の音楽監督に就任して、DECCAとは疎遠になってしまう。1957年4月イスラエル・フィルハーモニーと録音した交響曲第35番「ハフナー」、第41番「ジュピター」がDECCAに入れたモーツァルトの交響曲の最後となった。1970年代に入るとPHILIPSに移籍し、1972年~1973年までにアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮してモーツァルト交響曲集(第21-41番)を録音した。翌1974年ジュネーヴにて没。政治的理由から本懐を遂げることができなかった指揮者だが、DECCAでのロンドンso.の首席指揮者時代の録音は是非とも聴いておきたい。クレメンス・クラウスの後任でニュー・イヤー・コンサートの指揮者を任された経歴がある。クリップスのシューマンはロンドンso.と4番を1952年と1956年の2回、1番を1957年に録音した。2/3番の録音はDECCAにはない。ステレオが人気だがモノラルのパンチのある音は悪くないはず。

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