商品コード:1318-028n[MELODIYA] V.スピヴァコフ(vn)/ Vnリサイタル/シューベルト, サン・サーンス, ラヴェル 他

[ 1318-028n ] Vladimir Spivakov, Boris Bekhterev – Vladimir Spivakov



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商品コード: 1318-028n

作品名:Vnリサイタル/シューベルト:ソナチネ2番 D.385. | サン・サーンス:VnとPfのためのハバネラOp.83, ラヴェル:高雅で感傷的なワルツ(VnとPf編), ミヨー:舞踏組曲「ブラジルの郷愁」 Op.67~第7曲 コルコヴァードOp.67-7(VnとPf編), ヴィエニャフスキ:華麗なるポロネーズ第1番Op.4
演奏者:V.スピヴァコフ(vn)B.ベクテレフ(pf)
プレス国:旧ソ連, Soviet Union
レーベル:MELODIYA
レコード番号:CM 03489
M/S:ステレオ, stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【旧ソ連でのオリジナル世代】---紺/銀DL(ダブルレター), CTEPEO ○○33, グルーヴガード厚手重量, ГОСТ 5289-68, TУ-なし, Repertoire group:Вторая 2-гр., Price Code: 1-20, Год выпуска(発行年):なし, スタンパー/マトリクス:33CM 03489 3-1/33CM 03490 3-1 (ラウンド小文字スタンパー・MELODIYA通常タイプ), 露語表記・国内仕様, 1970年代スタンパーによる1972年頃製造分, DL(ダブルレター)レーベルの最初期分, プレ・メロディア・レーベル存在せず, DLレーベルの最初期分, 旧ソ連での最古レーベル・最厚プレスである, GOST-5289がある場合ГОСТ 5289-68が最初(当盤である), 更に古いマトリクス存在するか不明, モノラル存在せず, RIAAカーヴである, MELODIYA音源のMELODIYA製作プレス, モスクワ・オールユニオン「 Vsesoyuznaja Studija Gramzapisi」シサユーズナヤ工場製作, オリジナル世代, original generation
ジャケット:【旧ソ連でのオリジナル世代】---両面紙ペラ(モスクワ・オールユニオン), 記されたジャケット番号:CM 02755-6, Price Code:Цена 1 руб. 45 коп, 背文字:なし, (C)なし, 露語表記・国内仕様, ジャケット裏年号:Apt.36-8 Зак.なし, 製作/印刷:Всесоюзная студия грамзаписи. Запись, オリジナル, original generation
トピックス:【DLレーベル・オリジナルは初入荷!】---1972年又はそれ以前のモスクワでのステレオ録音, 録音技師:Vasili Antonenko, プロデューサー:不明, 1972年MELODIYA:CM 03489(DLレーベル世代の当装丁)にて初リリース, 当社初入荷のDLレーベル・オリジナル世代盤, 数あるウラディーミル・スピヴァコフのLPの中でも希少且つ内容が良いLP!演奏:★★★★★, 音質:★★★★+

商品詳細:ウラディーミル・スピヴァコフ(1944-)はロシア連邦中央部に位置するバシコルトスタン共和国(バシキリア)の首都であるチェルニコフスク市(現在はウファ)に生まれたヴァイオリニストおよび指揮者。室内オーケストラ「モスクワ・ヴィルトゥオージ」の主宰として名高い。サティ夫人(Sati)はテレビタレントである。両親はユダヤ人。1955年にレニングラード音楽院付属音楽学校に編入した。1963年に同校を卒業し、1963年から1968年にかけてモスクワ音楽院でユーリー・ヤンケレヴィチのクラスで学ぶ。1965年パリで行われたロン・ティボーコンクールに出場し3位入賞を収めた。1967年、ジェノヴァで行われたN.パガニーニに因んで名付けられた、最も難しい外国ヴァイオリン・コンクールに出場し、第2位を獲得した。1969年、彼はモントリオール (カナダ) で行われた次の国際コンクールに出場し、優勝を収めた。1970年第4回チャイコフスキー国際コンクールのヴァイオリン部門で2位入賞。1位はギドン・クレーメルであった。スピヴァコフはその後研究科に進み、1970年に卒業。演奏者としては1965年からコンサート活動を始めており、1970年からモスクワ・フィルハーモニーのソリストを務めた。1975~1990年、グネーシン音楽大学で教える。1994~2005年にはチューリヒでマスタークラスを開いた。その後、指揮者としては、1979年にシカゴ交響楽団と協演して西側デビューを果たす。1991年にソ連人民芸術家に任命された。1994年にロシアの孤児救済のためにスピヴァコフ慈善基金を設立する。1989年より音楽監督を務めてきたコルマル国際音楽祭への功労が認められ、レジオン・ドヌールを受勲。スピヴァコフは、ヤンケレヴィチ門下の同世代ヴァイオリニストの中では、最も練達といわれる演奏家の一人であり、モスクワやパリ、ジェノヴァ、モントリオールで開かれる数々のコンクールに入選している。レパートリーは、バッハやベートーヴェン、ブラームスからショスタコーヴィチやシュニトケに至るまで幅広く、協奏曲や室内楽といったジャンルの違いも問わない。旧ソ連のヴァイオリン奏者はオイストラフ、コーガンの陰に隠れ目立たない存在が多いが、スピヴァコフは間違いなく1970年代旧ソ連のトップレベルのヴァイオリン奏者である。ヴァイオリン演奏の大半はMELODIYAなので、西側では指揮者としての名声が高いが、例えばETERNAから出ているモーツァルト:教会ソナタの室内楽版LP2枚はスピヴァコフがリーダーとして演奏している。スピヴァコフは多くの称号を授与されており、ユネスコ親善大使(1998年)、「ラジオ1の最優秀ミュージシャン」(1999年)、「アイドル」ノミネートの「パーソン・オブ・ザ・イヤー」受賞者(ロシア、2002年)、受賞者ロシア連邦国民功績国民賞の「ロシア・オブ・ザ・イヤー」部門(2005年)、フランスのマスコミによる最高の賞であるChoc de la Musique「Range d'or」賞を受賞、ゴールデン・オスタップ賞(1993年)の他、コルマール市(スペイン、1999年)とトリヤッティ市(ロシア、2004年)の名誉市民の称号も受賞した。最初の妻はヴィクトリア・ポストニコワ(1944-)で1970年の第4回チャイコフスキー国際コンクールでは3位入賞しており、この年ダブル受賞している。但しポストニコワは1969年指揮者のゲンナジー・ロジェストヴェンスキーと結婚している。チャイコフスキー国際コンクールの3か月前に息子のアレクサンダーが生まれており、ロジェストヴェンスキーはこの子を養子に迎えている。このLPを聴けばスピヴァコフが如何に高い能力の持ち主であるか理解されだろう。

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