商品コード:1322-012p[Iramac] フー・ツォン(pf) / モーツァルト:Pf作品集/幻想曲, Pfソナタ14番 他
商品コード: 1322-012p
商品詳細:中国系のピアニスト、フー・ツォンは国際的評価も高いが同じアジア系である日本で正しい評価がされているとは言えない。確かにWESTMINSTERへの録音は注目すべき程のものではなかったが、このオランダIramacへの録音は本領を発揮している。なかなかの演奏で貫禄をみせる。ソナタは2曲のみで他はロンド等の小品だが、こちらも良い味を出している。明るく弾むだけではない、モーツァルトの心の内側までも描き出したその演出力は正当に評価したい。フー・ツォン(傅聰、1934-2020)は上海出身の中国系イギリス人ピアニスト。ポーランド人のジェヴィエツキに師事。ほぼ独学のフー・ツォンは、生涯を通じて体系的な技術の不足とそれに派生する手の故障に悩まされた。ステージでも使用していた指先だけ穴のあいた手袋は、傷めた手首を保護する為という。1953年、フー・ツォンはルーマニアで開催された第4回世界青年学生祭典のピアノ・コンクールに選ばれ、同年7月初めて出場し、3位を獲得した。大会終了後、フー・ツォンはグループと共にドイツとポーランドを訪れ、地元の音楽家に認められたショパンの作品をポーランドで何度も演奏した。 1955年、ワルシャワで開催された第5回ショパン国際ピアノ・コンクールに招待され、ついに3位と「マズルカ」賞を受賞し、中国人音楽家として初めて国際ピアノ・コンクールで優勝した。審査員の一人、タリアフェロから「情熱的で生気に満ちた高揚感、悲壮な情感、精緻で微妙な色彩感」と愛でられ、やはり審査員のケントナーからも「こんなに陰影に富んで、優雅で、典型的なマズルカのリズムを持った演奏があるとは想像もできなかった」と称賛された。ショパン国際ピアノ・コンクール終了後、ワルシャワ国立音楽院にピアノを学ぶために入学。その後ロンドンに移住。1966年の文化大革命で、フー・ツォンの両親は紅衛兵によって上海の自宅に首を吊るされ殺害され、墓地も紅衛兵により破壊された。1960年ユーディ・メニューインの娘のミラと結婚し、メニューイン・ファミリーとなり室内楽で度々共演している。1979年以降はほぼ毎年中国で演奏・講演を行い、北京、上海、西安、成都、昆明などを訪れている。2020年12月ロンドンの自宅でコロナ感染により亡くなった。86歳だった。1955年時点でアジア人がショパン国際ピアノ・コンクールに入賞したことは無かった。大変センセーショナルな事実である。1980年代に入り、やっとヨーヨー・マのような国際的スターが誕生したが、1950年代ではあり得ない出来事である。フー・ツォンの実力は本物で恐ろしく上手いピアニストなのである。ダイナミズム、表現力、あらゆる角度から見ても文句の付けようのない超一流のピアニストである。辛口のピアニスト評論家である青柳いずみこ氏も「いったんステージにのぼると不自由な手指にも関わらず、沸き起こる楽想に突き動かされてしゃにむに突き進んでしまう。教育体系が整備されたこんにち、彼のような純粋に音楽する想いに溢れたピアニストはもう現れないかもしれない。」と述べている。持って生まれた才能にオリンピック選手並みの努力で身につけた実力は聴いた者を黙らせる力がある。フー・ツォンのモーツァルトは誰とも似ていない独自の世界感があり、その個性は他の演奏と比べる必要のない唯一のモノである。この個性をどう見るかで評価は変わるが、無理のない独特のアクセントや表情は美的であり、一つの完成された世界を形作っている。アジア人音楽家でこのような独自性で世界から認められた数少ないピアニストでアろう。
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