商品コード:1325-062b[DECCA] R.ルプ(pf) / シューベルト:Pfソナタ20, 5番
商品コード: 1325-062b
商品詳細:ルプも長きに渡って若手とされていたが、このように自己の世界を確立してくると、一家言持ったピアニストと言える。特にこのシューベルトには、ゴールドベルクの相棒を務めた時よりも深いものを感じる。ここには、暗くて退屈なシューベルトはない。素直に情景を感じなが、ピアノの音色を楽しみながら親しめるシューベルトなのだ。シューベルトのソナタはどうもつまらないと思ってらっしゃる方に是非聴いていただきたい。これまでルプーとしてきたが正確にはルプが正しい。ラドゥ・ルプ(1945 - 2022)はルーマニア・ガラツ出身のピアニスト。1959年にブカレスト音楽院でフロリカ・ムジチェスクに入門、リパッティと同門になる。1960年より1968年までモスクワ音楽院に留学してスタニスラフ・ネイガウスらに師事する。1966年第2回ヴァン・クライバーン国際コンクール、1967年ジョルジュ・エネスク国際コンクール、1969年リーズ国際ピアノ・コンクールにおいてそれぞれ優勝者となった。ルプの名を有名にしたのは、「ヴァン・クライバーン国際コンクールの副賞であるコンサート契約を全部断って帰国した」ことである。これがソ連当局の要請なのかどうかは不明であるが、この行動はかなり話題となった。もちろん、これでアメリカへの演奏はしばらくは叶わなくなったものの、リーズ優勝後にDECCAと契約し、そのディスクの名声によってアメリカにデビューするという二重の手間をかけた活動でも知られる。1969年11月のリサイタルでロンドン・デビューを成功させたのを機に、以降はイギリスを本拠に国際的な演奏活動を行う。1972年に米国デビューし、1978年にはザルツブルク音楽祭にも出演する。1973年を皮切りにたびたび来日している。しかし、体調不良も多く、2010年代の来日はドクターストップがかかり1日で帰国した。ロンドン・デビュー当時には地元紙により「千人に一人のリリシスト」と呼ばれ、以降、ルプを形容する表現として使用されている。若手とばかり思っていたラドゥ・ルプだったが、2002年に76歳で亡くなった。来日公演は2013年が最後。2019年に引退を表明していた。日本でも英国でも若手ピアニストとしては異例の人気があった。理由は何よりその情緒豊かなピアニズムに他ならない。スタニスラフ・ネイガウスに指導を受けたロシアン・スクール生なのだが、その事実に触れることはない。何故ならルプのリリシズムがロシアン・スクールと結び付かないからだろう。それだけ個性を伸ばしたピアニストといえる。シモン・ゴールドベルクもそういう面に惹かれたのだろう。これは1970年代におけるシューベルト・ピアノソナタの傑作と言い切って良いと思われる。
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