商品コード:1325-062b[DECCA] R.ルプ(pf) / シューベルト:Pfソナタ20, 5番

[ 1325-062b ] Schubert, Radu Lupu – Piano Sonata In A Major, D.959 / A Flat Major, D.557


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商品コード: 1325-062b

作品名:シューベルト:Pfソナタ20番イ長調 D.959--1.Allegro--2.Andantino-- | --3.Scherzo. Allegro Vivace--4.Rondo. Allegretto, Pfソナタ5番 変イ長調 D.557
演奏者:R.ルプ(pf)
プレス国:英国, United Kingdom
レーベル:DECCA
レコード番号:SXL 6771
M/S:ステレオ, stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:8/7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【英国での再版・オランダ製造分】---小デッカ土手HD1, 帯にffss(Full Frequency Stereophonic Sound.), 7時にMade in Holland, グルーヴガード, 表記されたレコード番号:SXL 6771, Rights Society:記載なし, (P)1976(3時), TAX Code:廃止(1973年4月1日以降を示す), スタンパー/マトリクス:ZAL 14236 3G 113/ZAL 14237 3G 1 (ストレート小文字スタンパー・DECCA/PHILIPSタイプ), DECCA録音ステレオ製造を示すZAL**で始まりレコード番号を含まない専用マトリクス使用, マトリクスのGはTed Burkett (テッド・バーケット)のカッティング担当を指す, 補助マトリクス(3時):なし, 再補助マトリクス(9時):なし, 1970年代のスタンパーを用いた1980年頃の製造分, 旧番号存在せず, ED4レーベル英国プレス存在する, これより古いレーベル存在する, 最古レーベル・最厚プレスではない, 更に古いマトリクス存在する(2W/2Wが最古), カッティング担当の前任者:イニシャルWのHarry Fisher , モノラル存在せず, RIAAカーヴである, 英DECCA音源の英DECCA制作オランダPHILIPSプレス, 工場:PolyGram Record Service B.V.Baarn, 再版, re issue
ジャケット:【英国での再版】---両面ツヤペラ, 2時に黒ベース□DECCA(白文字), 背文字:あり(黒色・クリーム背景), 表記されたジャケット番号:SXL 6771, (P)1976(C)1977, ジャケ裏年号:なし, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:不明(年号記載ないが当ジャケットではない・旧タイプあり), 製作:The Decca Record Company Limited. London, 印刷:Senol Printing limited., 同一デザインだが表コートペラジャケット存在する, これより古いジャケット存在する, 再版, re issue
トピックス:1975年8月・1976年7月ロンドン・キングズウェイ・ホールデノステレオ録音, 録音技師:Kenneth Wilkinson, プロデューサー:Richard Beswick, 編集/カッティングマスター:Ted Burkett, Harry Fisher , 1977年The Decca Record Company Limited. Londonにてコピーライト登録・同年DECCA:SXL 6771(小デッカED4レーベル・表コートペラジャケット入り)にて初リリース, これは1980年頃のオランダ製造の盤が同じころ英国製造の再版ジャケットに入るケースで再版, オリイナルが高額につき安価に出せる再版

商品詳細:ルプも長きに渡って若手とされていたが、このように自己の世界を確立してくると、一家言持ったピアニストと言える。特にこのシューベルトには、ゴールドベルクの相棒を務めた時よりも深いものを感じる。ここには、暗くて退屈なシューベルトはない。素直に情景を感じなが、ピアノの音色を楽しみながら親しめるシューベルトなのだ。シューベルトのソナタはどうもつまらないと思ってらっしゃる方に是非聴いていただきたい。これまでルプーとしてきたが正確にはルプが正しい。ラドゥ・ルプ(1945 - 2022)はルーマニア・ガラツ出身のピアニスト。1959年にブカレスト音楽院でフロリカ・ムジチェスクに入門、リパッティと同門になる。1960年より1968年までモスクワ音楽院に留学してスタニスラフ・ネイガウスらに師事する。1966年第2回ヴァン・クライバーン国際コンクール、1967年ジョルジュ・エネスク国際コンクール、1969年リーズ国際ピアノ・コンクールにおいてそれぞれ優勝者となった。ルプの名を有名にしたのは、「ヴァン・クライバーン国際コンクールの副賞であるコンサート契約を全部断って帰国した」ことである。これがソ連当局の要請なのかどうかは不明であるが、この行動はかなり話題となった。もちろん、これでアメリカへの演奏はしばらくは叶わなくなったものの、リーズ優勝後にDECCAと契約し、そのディスクの名声によってアメリカにデビューするという二重の手間をかけた活動でも知られる。1969年11月のリサイタルでロンドン・デビューを成功させたのを機に、以降はイギリスを本拠に国際的な演奏活動を行う。1972年に米国デビューし、1978年にはザルツブルク音楽祭にも出演する。1973年を皮切りにたびたび来日している。しかし、体調不良も多く、2010年代の来日はドクターストップがかかり1日で帰国した。ロンドン・デビュー当時には地元紙により「千人に一人のリリシスト」と呼ばれ、以降、ルプを形容する表現として使用されている。若手とばかり思っていたラドゥ・ルプだったが、2002年に76歳で亡くなった。来日公演は2013年が最後。2019年に引退を表明していた。日本でも英国でも若手ピアニストとしては異例の人気があった。理由は何よりその情緒豊かなピアニズムに他ならない。スタニスラフ・ネイガウスに指導を受けたロシアン・スクール生なのだが、その事実に触れることはない。何故ならルプのリリシズムがロシアン・スクールと結び付かないからだろう。それだけ個性を伸ばしたピアニストといえる。シモン・ゴールドベルクもそういう面に惹かれたのだろう。これは1970年代におけるシューベルト・ピアノソナタの傑作と言い切って良いと思われる。

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