商品コード:1325-054n[DECCA] V.アシュケナージ(pf)/ ラフマニノフ:Pf協奏曲3番
商品コード: 1325-054n
商品詳細:作曲家・ピアニストとして活躍し、ピアノ作品を中心に様々な作品を残したラフマニノフ。モスクワ音楽院の卒業試験用に書かれたピアノ協奏曲1番Op.1に始まり、アメリカ亡命後に作曲された「パガニーニ変奏曲」まで、本人が2mを超える身長と巨大な手掌を持っていた事もあり全てが超難曲として知られる。特にこのピアノ協奏曲3番は作曲当時、作者とホロヴィッツしか演奏できるピアニストがいなかったらしい。現代を代表するピアニストであるアシュケナージは、この曲を愛奏しており2種類あるカデンツァのどちらも弾き分けられるという。アシュケナージの超絶技巧と叙情的旋律に、ラフマニノフの美しさを聴く事になる。ウラディーミル・アシュケナージ(1937-)はソヴィエト連邦のゴーリキー(現在のニジニ・ノヴゴロド)の音楽家の家庭に生まれた。6歳でピアノを始め、2年後にはモスクワでデビュー演奏会を開いた。9歳の時にモスクワ音楽院の附属中央音楽学校に入学し、アナイダ・スンバティアンに師事した。直接の師はオボーリンで系譜ではイグムノフ一派となる。1955年には18歳でワルシャワで開催されたショパン国際ピアノ・コンクールに出場し、2位に輝いた(優勝はアダム・ハラシェヴィチ)。この時にアシュケナージが優勝を逃したことに納得できなかったアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが審査員を降板する騒動を起こしたことはよく知られている。この年にモスクワ音楽院に進学、レフ・オボーリンやボリス・ゼムリャンスキーに師事した。翌1956年にはエリザベート王妃国際音楽コンクールに出場して優勝を果たし、これを機にヨーロッパ各国や北米を演奏旅行してセンセーショナルな成功を収めた。1958年英COLUMBIAに録音を行う。1962年にチャイコフスキー国際コンクールでジョン・オグドンと共に同時優勝すると1963年には英国へ出奔。DECCAの専属となり多くのLPを録音した。若くして国際的な名声を確立したためかアシュケナージがロシアン・スクール出身だったことは忘れられる事が多く、また西側に出たのも早かったのでMELODIYA録音は多くない。DECCAに移籍してからは夥しい数の録音を行い、DECCAレーベルの顔として世に出たピアニストであった。その後1970年頃からは指揮者としても名を馳せる。1960年代初期の録音はアシュケナージの黄金時代であり、音の良さも相まってどれも良い結果を出している。
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