商品コード:1327-028[COLUMBIA] O.クレンペラー指揮/ メンデルスゾーン:交響曲4番「イタリア」, シューマン:交響曲4番

[ 1327-028 ] Mendelssohn / Schumann, Otto Klemperer, Philharmonia Orchestra ‎– 'Italian' Symphony / Symphony No.4



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商品コード: 1327-028

作品名:メンデルスゾーン:交響曲4番「イタリア」Op.90 | シューマン:交響曲4番Op.120
演奏者:O.クレンペラー指揮フィルハーモニアo.
プレス国:フランス, France
レーベル:COLUMBIA
レコード番号:FCX 896
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【フランスでのモノラル・オリジナル】---紺/銀音符段付, センターホール上にLongue Durée □33 1/3 Microsillon, 6時にMade in France(ラウンド銀文字), グルーヴガード厚, 表記されたレコード番号:FCX 896, Rights Society:DP, (P)なし, Price Code:Ⓐ, スタンパー/マトリクス:XAX 1969-2S /XAX 1970-7S (ラウンド小文字スタンパー・EMI/Pathéタイプ), EMIグループCOLUMBIA英国録音のモノラル製造を示すXAX ***で始まりレコード番号を含まない専用マトリクス使用, 補助マトリクス:ストレートMスタンパー・M6 216103/M6 216104, 再補助マトリクス:なし・パテキュラー(Patéculaire)はない, ラウンドEMI系本体とストレートM6スタンパーと2種併存のPathéプレス, 1960年代のスタンパーを用いた1961年頃の製造分, フラット盤存在せず, 段付きレーベルの最初期分, フランスでこれより古いレーベル存在せず, フランスでのモノラル最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在するか不明, ステレオ存在する, RIAAカーヴである, 英COLUMBIA音源の仏COLUMBIA製作Pathéプレス, 工場:Pathé Marconi, Chatou, フランスでのモノラル・オリジナル, original for mono in Fr.
ジャケット:【フランスでのモノラル・オリジナル】---棒付厚手ボード(粗目紙厚手・ザラザラ表面), 表記されたジャケット番号:FCX 896, 内ジャケ窓なし(窓付き存在せず), 背文字:あり(棒上に金色押型・黒クロス紙背景), (P)(C)なし, ジャケット裏年号:なし, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:不明(年号記載ないがフランスでは当ジャケットである), 製作:Les Industries Musicales Et Electriques Pathé Marcon. Paris, 印刷:S.I.A.T. Paris, 棒付厚手ボード(粗目紙厚手・ザラザラ表面)ジャケットの初期分, これより古いジャケット存在せず, フランスでのモノラル・オリジナル, original for mono in Fr.
トピックス:メンデルスゾーン:1960年2月15・17・18日/シューマン:1960年5月4日ロンドン・アビーロード・第1スタジオにてモノラル/ステレオ録音, 録音技師:Douglas Larter, プロデューサー:Walter Legge, 英国では1961年Columbia Graphophone Company Ltd.によりコピーライト登録・同年英COLUMBIA:33CX 1751/SAX 2398で初リリース, フランスでは同年仏COLUMBIAからモノラル:FCX 896(当装丁)にて初リリース, 同年ステレオ:SAXF 218で初リリース, ステレオはCCA 896→2 C 053-00524に番号変更された(SAXF 896が存在するか不明), これはフランス・モノラル・オリジナルで希少番号, モノラル・オーディオファイルLP, SAXF番号は20.000円以上の高額盤, 演奏:★★★★★, 音質:★★★★★

商品詳細:英国ステレオ・オリジナルは非常に高額なことでも知られるクレンペラーの名演。当盤はそのモノラル・初出。1960年ロンドンでの録音。クレンペラーは同じ時期にメンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」も録音していて、それは特に名演とされている。オットー・クレンペラー(1885―1973)は、22歳でグスタフ・マーラーの推挙を受け、プラハのドイツ歌劇場の指揮者、さらにはベルリン・フィルなどに出演する。その後、ナチス・ドイツを嫌い、米国へ亡命を果たす。米国ではロサンジェルス・フィル音楽監督やピッツバーグ交響楽団を指揮し、これらのオーケストラの水準を大きく飛躍させた。しかし、1939年に脳腫瘍に倒れ、第2次世界大戦後は、ヨーロッパにおいて再起を果たすことになる。ロンドンでの客演が英国EMIのプロデューサーであるウォルター・レッグの目に止まり、1952年にEMIとレコード契約を交わす。1959年からはロンドン・フィルハーモニア管弦楽団の初代首席指揮者として1973年まで君臨しEMI(英COLUMBIA)に多くの録音を残した。この楽団は英国EMIのレコード作成用楽団だったが、創立者ウォルター・レッグの同社辞職に伴い、レッグは同オーケストラの解散を宣言し(オーケストラは彼個人の所有物だった)、「フィルハーモニア管弦楽団」の名称すら売却してしまった。しかし、楽員たちは「ニュー・フィルハーモニア管弦楽団」(後に名称は元に戻る)として自主運営を始め、クレンペラーも楽団の会長に就任して多くの録音を残した。ある女性奏者は「神様のもとで演奏出来て、そのうえ給料まで戴けるなんて申し訳ない」と漏らしたという逸話も残っている。その独特な性格にもかかわらず、クレンペラーは多くの音楽家から敬意を持って遇された。クレンペラーのメンデルスゾーン/シューマンを一言でいうなら重量級の正統派に尽きる。ジョージ・セルと正反対のスタイルながら何方も名演とされるのはなぜだろう。音楽はどんなアプローチでも聴いた人間が大いなる満足を感じればそれが名演となる。クレンペラーは此方のスタイルでの一つの完成形を極めた指揮者といえる。特にシューマン4番はテンポも遅くなく気迫さえ感じられる本物の名演だろう。

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