商品コード:1334-008[L'OISEAU LYRE] K.トーマス指揮/ バッハ:マタイ受難曲(全曲)
商品コード: 1334-008
商品詳細:トーマスは、バッハ四大宗教曲をフランクフルト・コレギウムムジクムとオワゾリールに入れている。いずれもETERNAには存在しない録音。英国、フランス、ドイツ各国から1950年代にモノラルのみでリリースされた。この「マタイ受難曲」もラミンからの流れを汲む古いスタイルで、少年合唱を使っている。録音は非常に良く、合唱、ソロ共にリアルに再生できる。バッハ好き必聴のセット。トーマスは1945年からフランクフルト三王教会聖歌隊でカントルを務めていた。1947年から1955年までデットモルドの音楽高等学校で合唱指揮の教授を務めていた。ライプツィヒのトーマス教会にトーマスカントルとして赴任するのは1957年である。1957年4月1日にギュンター・ラミンから引き継ぎをした為である。我々のよく知るトーマスカントルとしてのクルト・トーマスはETERNAに録音をする以前に西側で大いに活躍しており、これはそのフランクフルト時代の録音。これらの実績が認められてトーマスカントルに採用されたのであろう。バッハ好きには重要な録音である。フランス盤は特に希少!フランクフルトの三王教会は19世紀後半に建設されたネオゴシック様式の建物で14世紀ごろバロック様式の教会が同じ場所に建っていたが老朽化のため取り壊され、あらたに現在の教会が建設された。教会の塔は高さ80メートル。完成当時、この塔はフランクフルトで2番目に高い建築物であった。プロテスタントの教会である。同じ市内にある、カトリックのバルトロメウス大聖堂(フランクフルト大聖堂)に対抗し、冗談と誇りをこめて「ザクセンハウゼンの大聖堂」とも呼ばれる。非常に大きな教会で1100人もの人が座ることが出来る。クルト・トーマス(1904– 1973)は1945年から1955年までこのランクフルト三王教会でカントルを務めた。1957年から1960年までトーマスカントルを務めた。1960年にトーマス教会の西ドイツへの計画されたツアーがキャンセルされたとき、トーマスカントルを辞退している。東独当局の西側へのツアーへの強硬な拒否に伴う社会主義芸術政策に対する反発であったらしい。1961年から彼は西側に戻り、バッハ-ヴェレインケルン合唱団の指揮者に就任。同時にフランクフルトでフランクフルト・カントライを設立し1969年まで合唱団を指揮した。そのほとんどがドレイコニヒス教会のカントライのメンバーである。エアハルト・マウエルスベルガーが1962年 - 1971年までトーマスカントルを引き継ぐ。マウエルスベルガーを含め以降の人事は生粋の東側生まれの音楽家がトーマスカントルを引き継ぐことになる。音楽芸術への政治介入は共産圏では通常のことだった。フランスでの発売分は英国プレスがフランス箱に入る形とフランスプレスがフランス箱に入る形の2種が存在する。優劣はないが英国盤の方が傷みが少ない傾向にある。G.ラミンの「マタイ受難曲」も存在するが録音が古すぎて鑑賞には適さない。これこそがトーマス・カントルが録音したモノラル期の最有力の「マタイ受難曲」!
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