商品コード:1338-037n[ETERNA] A.シュミット(pf) / Pfソナタ/ブラームス:1番, シューマン:1番

[ 1338-037n ] Annerose Schmidt, Brahms, Schumann – Klaviersonate C-Dur Op.1 / Klaviersonate Nr. 1 Fis-Moll Op. 11


通常価格:¥ 2,750 税込

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商品コード: 1338-037n

作品名:ブラームス:Pfソナタ1番Op.1 | シューマン:Pfソナタ1番Op.11
演奏者:A.シュミット(pf)
プレス国:旧東ドイツ, Germany East
レーベル:ETERNA
レコード番号:820 214
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7/6 : 軽度の難
評価/ジャケット:B : 一部に軽度の剥がれあり・修理しているが完全な復元は困難
キズ情報:B面1時に小9回出る点あり
レーベルタイプ:【旧東ドイツでのオリジナル】---緑/白V字小ロゴ, ▽M33, フラット重量, (P)なし, Rights Society:記載なし, スタンパー/マトリクス:0 203 687/0 203 688-2 (ラウンド大文字スタンパー・ETERNA旧タイプ), ETERNAモノラル製造を示す0***で始まる専用マトリクス使用, 補助マトリクス:M0 W/M0 W2, 再補助マトリクス:幅広面割マトリクスあり・820 214 A/820 214 B, 両面にMade in Ger, manyの刻印あり, 1960年12月/1960年12月製造のスタンパーによる1960年製造分, 濃緑白葉/黒浅内溝レーベル存在せず, 大ロゴレーベル存在せず, LPM付き最初期レーベル存在せず, これより古いレーベル存在せず, 最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在せず, ステレオ存在せず, RIAAカーヴであると思われる, ETERNA音源のETERNA制作DGGプレスと思われる, 同じ時期にSUPRAPHONタイプも存在すると思われる, オリジナル, original
ジャケット:【旧東ドイツでのオリジナル】---折返両面紙ペラ, 2時に▽M33, 5時に縦にダブルレターでETERNA, 表記されたジャケット番号:820 214, Price Code:なし, 背文字:なし(初期の証拠), ジャケ裏年号:Ag 511/01/62, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:Ag 511/01/62(当ジャケットである), 製作:VEB Deutsche Schallplatten Berlin DDR, 印刷:Re.G.16/64, 住所:VEB Deutsche Schallplatten W8 (旧住所), これより古いジャケット存在せず, オリジナル, original
トピックス:1962年又はそれ以前の旧東ドイツでのモノラル録音, 録音詳細不明, 1962年頃VEB Deutsche Schallplatten Berlin DDRによりコピーライト登録・同年ETERNA:820 214(当装丁)にて初リリース, これは初年度リリース分オリジナル, ステレオは存在しない, シュミットの若い頃のジャケットはそれだけで価値がある, シュミットのモノラル録音はどれも希少!, 推薦!

商品詳細:ETERNAらしい非常に綺麗なジャケット。青い瞳でこちらを見つめるシュミットの表情にドキリとしてしまう。ピアノも写真同様、清楚な美しさが漂う。ブラームスとは思えないような優雅な雰囲気が漂う。ステレオ期になって彼女は多くの録音を残したが、もうこういった奥ゆかしい表情を失ってしまった。花の命の短さを実感させる愛すべきLP。この5~6年入荷がなかったスーパーレア盤!アンネローゼ・シュミット( 1936- 2022)は旧東ドイツ・ ザクセン=アンハルト州・ルターシュタット・ヴィッテンベルク出身のピアニストである。1955年:ライプツィヒ音楽院を卒業。1956年:国際ロベルト・シューマンコンクールで優勝。1964年:ロベルト・シューマン賞受賞。1985年:ハンガリー政府からバルトーク章受賞の経歴を持つ女性ピアニスト。若い頃はジャケット写真のような美貌の持ち主だった。1987年:ハンス・アイスラー音楽大学ベルリン教授及びピアノ学科学部長に就任し教師の道に入る。2000年:ショパン国際ピアノ・コンクール評議員を務める。1955年、ショパン国際ピアノ・コンクールへの参加後(入賞なし)から積極的に旧共産圏を中心としたコンサートツアーを行う。1958年からは北欧やイギリス、オランダ、オーストリア、ルクセンブルクでも演奏を行い、アメリカへも訪れている。日本へは1973年から数回訪れている。特に東ドイツとの国交樹立後に次々と来日する文化使節の顔的な存在としてスポットが当てられていた。シュミットはライプツィヒにあるピアノ・メーカー「ブリュートナー」を愛用しており、記載はないが多くの録音で「ブリュートナー」を使用していた。この録音もその可能性が高い。なおフジコ・ヘミングもご自宅で愛用していたピアノ。有名どころではポール・マッカートニーが『レット・イット・ビー』で使用したらしい。それまでほんとにローカルな骨董的ピアノと思っていたがそうでもないようでである。シュミットは、クルト・マズア指揮/ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団とモーツァルト:主要ピアノ協奏曲録音で知られるようになったが、実はモノラル録音も結構あり、これもその一つ。ブラームスとシューマンのカップリング。1960年頃のシュミットはロマンティックな表情を持ちつつも出来るだけ楽譜に忠実たる姿勢が濃厚である。これは東ドイツ系の多くのピアニストに当てはまる。シュミットがより個性を強めるのは1970年代に入ってからのように思われる。当時の旧東ドイツにおけるライプツィヒ楽派(今は死語らしい)の音楽派に共通した認識のようである。かのバックハウスもその昔当地でライプツィヒ楽派の元祖のようなスタイルだったらしい。南にウィーン、西にパリ、東にチェコ、ソ連がありライプツィヒ楽派の継承はどこかで途切れてしまったったようである。シュミットの演奏はこういった教えを忠実に守った演奏である。しかしよく聴けば、遊びのない音符からそこはかとなく漂う情感があり、これがドイツ的でもあり感傷を誘うものであることに気が付くだろう。これがライプツィヒの地に受け継がれてきたスタイルである点に着目して聴かれると新しい発見があるかも知れない。シュミットの若い頃のジャケットはそれだけで価値がある。モノラル録音の方がより希少!

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