商品コード:1344-003[PHILIPS] E.ラインスドルフ指揮/ シューマン:交響曲1番「春」
商品コード: 1344-003
商品詳細:エーリヒ・ラインスドルフ( 1912 - 1993)はオーストリア・ウィーンのユダヤ人家庭の生まれで、後にアメリカに帰化した指揮者。ラインスドルフは米国ではそれなりの地位のある指揮者だが欧州での見方は微妙かも知れない。1930年代までは欧州でブルーノ・ワルターやアルトゥーロ・トスカニーニの助手を務めたが、1936年にはイタリアのボローニャでオペラを指揮している。1937年にニューヨークのメトロポリタン歌劇場で『ワルキューレ』を指揮、その後はフランス、イタリアなどで活動する。しかし1937年には渡米し、メトロポリタン歌劇場で副指揮者の地位を得た。1942年にはアメリカ市民権を得て帰化することができた。1943年には3年契約でクリーヴランド管弦楽団の音楽監督の地位を得たが、実際にはほとんど在職期間がなかった。第二次世界大戦のためアメリカ軍に徴兵されてしまい、契約も更新されなかったからである。その為ラインスドルフ/クリーヴランドo.との録音はこれまで見たことがなかった。1969年には急逝したアルトゥル・ボダンツキーの後任としてメトロポリタン歌劇場のドイツ物レパートリーの責任者となった。1962年にはボストン交響楽団の音楽監督に就任した。ボストンではもっぱらRCAレコードと組んでレコーティングすることが多かったが、演奏家や管理者と揉めることもしょっちゅうであった。ラインスドルフは結局、生まれ故郷の欧州では名声を得られず、米国で活躍した指揮者として認識されている。1969年ボストン交響楽団の音楽監督を辞任すると故郷のウィーンに戻り、1976-1978年ウィーン交響楽団の首席指揮者を務めた。1993年、癌のため、スイスのチューリッヒにて81歳で亡くなった。ユダヤ人ということで欧州でのキャリアを断念せざるを得なくなった点はその通りである。ラインスドルフのスタイルは厳格であり、リハーサルは長時間に及んだという。厳格で妥協が無く、気難しい指揮者として知られている。その完全主義的なスタイルはジョージ・セルとも通じる部分があり、この録音から知ることが出来る。強固な意思を持った音楽家といえる。これは初にお目にかかるラインスドルフ/クリーヴランドo.の録音。ジョージ・セルはラインスドルフの後任として1946年にクリーヴランド管弦楽団に赴任した。ジョージ・セル以前のクリーヴランド管弦楽団を知ることが出きる貴重な録音。まだオケはアメリカの平凡な地方オーケストラの一つであった時代である。しかし聴いてみるとセル時代とは異なるものの、パワーと統率の取れたオケであったことがわかる。この時期のコンマスはトッシー・スピヴァコフスキー(在任・1942年 - 1945年)のはず。1940年代としてはやや硬い印象を受けるが、悪くない演奏で音質はすこぶる良い!
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