商品コード:1351-037[RCA] B.ジャニス(pf)/ リスト:死の舞踏, ラフマニノフ:Pf協奏曲1番

[ 1351-037 ] Liszt / Rachmaninoff, Byron Janis, Chicago Symphony Orchestra, Fritz Reiner – Todtentanz / Concerto No. 1 In F-Sharp Minor, Op. 1


通常価格:¥ 5,500 税込

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商品コード: 1351-037

作品名:リスト:Pfと管弦楽のための「死の舞踏」S.126 | ラフマニノフ:Pf協奏曲1番Op.1
演奏者:B.ジャニス(pf)F.ライナー指揮シカゴso.
プレス国:フランス, France
レーベル:RCA
レコード番号:640 781
M/S:ステレオ, stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:8/7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【フランスでのステレオ・オリジナル】---アズキ/銀RCA Victor外段, 12時方向に〇銀塗潰RCAロゴマーク, 6時にLIVING ▼33 STEREO(ラウンド銀文字), センターホール上に "Stereo Orthophonic"High Fidelity, 3時にMade in France by AREA(ラウンド銀文字), グルーヴガード厚手, Price Code:Ⓐ, Rights Society:DP, Ⓟ1ère Publication 1961, スタンパー/マトリクス:L2RY 4112 R1/L2RY 4113 R2 (ラウンド小文字スタンパー・RCA/AREAタイプ), RCA規格フランス・ステレオ製造を示すL2RY***始まりレコード番号を含まないフランス型のフランス専用スタンパー使用, 補助マトリクス:なし, 再補助マトリクス:なし, 1960年代スタンパーによる1964年頃の製造分, フランスのプレス専門の会社AREA s.aによるプレス, フランスに旧番号存在せず, アズキ/銀サークル2本線外段・センターホール上にLiving Stereo ストレート・ロゴ付・レーベル存在せず, これより古いフランス・ステレオレーベル存在せず, 最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在するか不明, モノラル存在する, RIAAカーヴである, 米RCA音源の仏RCA制作AREAプレス, 工場:AREA--Applications et réalisations électriques et acoustiques. Hoche-Paris, フランスでのステレオ・オリジナル, original for stereo in Fr.
ジャケット:【フランスでのステレオ・オリジナル】---折返表コートペラ, 1時に白ベース□黒文字でRCA Victor STEREO 右にス白ベース□〇RCAロゴマーク(黒文字) , 表記されたジャケット番号:640 781 A , Price Code:Artistique, 背文字:あり(黒色・白背景・上下絞り), ⓅⒸなし, ジャケット裏年号:2-64, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:2-64(フランスでは当ジャケットである), 製作:société RCA S.A, 印刷: Genèse Imp. Paris., フランスにでこれより古いジャケット存在せず, フランスでのステレオ・オリジナル, original for stereo in Fr.
トピックス:ラフマニノフ:1957年5月2日/リスト:1959年2月23日米国シカゴ・シカゴ・オーケストラ・ホールでのモノラル/ステレオ録音, 録音技師:Lewis Layton, プロデューサー:Richard Mohr, 米国では1957年Radio Corporation of Americaによりコピーライト登録・同年ラフマニノフ+R.シュトラウス:ブルレスケのカップリングで米RCA:LM-2127にて初リリース→1965年ステレオがVICS 1011で初リリース, 1961年ラフマニノフ+リストのカップリングで米RCA:LM-2541/LSC-2541(赤/銀中溝SDレーベル・厚紙ジャケット入り)にて初リリース, 英国では不明, フランスでは1964年仏RCA:不明/640 781(当装丁)にて初リリース, これはフランスでの初年度リリース分オリジナル, ラフマニノフ:pf協奏曲1番はこれが初回録音, その後1962年6月録音、モスクワ、チャイコフスキー音楽院ボリショイ・ホール, 1964年1月録音、ニューヨーク、ファイン・レコーディング オーマンディ指揮 フィラデルフィア管弦楽団と再録音がある, LSC-2127は1980年代にサード・パーティでステレオリリースされた, ラフマニノフ:pf協奏曲はRCAには1/3番のみ録音, 2番はMERCYRYにある

商品詳細:ラフマニノフ1番:1957年5月2日、リスト:1959年2月23日米国シカゴでモノラル/ステレオ録音されたもの。1957年にラフマニノフ1番+R.シュトラウス:ブルレスケのカップリングで当初モノラル発売されたあと1965年になってVICSでステレオが発売された。当初のカップリングでのLSC番号は1980年代になってサード・パーティでステレオリリースされた。1961年になってラフマニノフ1番+リスト:死の舞踏がカップリングされ、LM-2541/LSC-2541でリリースされた。フランスでは1964年頃になって初めてラフマニノフ1番+リスト:死の舞踏のカップリングで初リリースとなったようである。バイロン・ジャニス(1928-)は東欧系ユダヤ人として、アメリカ・ペンシルバニアに生まれる。8歳の時に初めてのリサイタルを行い、それがロシア出身の名ピアニストのヨーゼフ・レヴィンと夫人ロジーナ・レヴィンの知るところとなり、夫妻のもとで2年間にわたってレッスンを受け、その後レヴィンの助手をしていたアナディール・マーカスに師事し、ジュリアード音楽院に進む。1944年、ジャニスが16才の時にピッツバーグで幼いときからの友人であったロリン・マゼールの指揮でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を演奏した。マーカスは語る。「このとき、すでにジャニスはロマン派の音楽に対する豊かな想像力と卓抜な解釈を持っていた」と。すでに若い有望なピアニストであったジャニスに大きな幸運がこの時訪れている。コンサートを聴いていたウラディミール・ホロヴィッツが楽屋のジャニスを訪ね、「君のピアノには閃きがある」と語り、「ニューヨークに来たら、電話をしてくれ。是非レッスンをしてあげたい。」と申し出たのだ。そして四年にわたってジャニスはホロヴィッツのレッスンを受けることとなった。ホロヴィッツの3人の弟子の1人として学ぶことになる。1958年にヴァン・クライバーンが第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝をさらうと、米ソの芸術における雪解けムードが高まる。そのような時期の1960年バイロン・ジャニスは最初のアメリカ人として当時のソ連に派遣され、モスクワ公演を行った。これは驚異的なまでの成功を収め、米ソ交流の架け橋となる。この録音もそれが縁で実現。彼はラフマニノフを得手としていて、優れた技巧はこれらの曲の表現に欠かせない。ダイナミズム、そして正確無比、一切の妥協と曖昧さのないピアノは超人的!独奏曲ではとりわけショパンの演奏で、また協奏曲ではラフマニノフやプロコフィエフの演奏が知られている。1960年代はじめ、彼は、ヴァン・クライバーンと並ぶアメリカのスターとなり、ラフマニノフのスぺシャリストとして知られた。旧ソ連でもヴァン・クライバーンに続きバイロン・ジャニスのフィーバーが起こった。米国ではホロヴィッツと並ぶセンセーショナルなピアニストであった。バイロン・ジャニスはラフマニノフとプロコフィエフで世界を席巻した時代の色褪せることのない記録である!ラフマニノフ:Pf協奏曲1番は複数回録音したが、これは最初の録音である。

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