商品コード:1352-046p[MERCURY] B.ジャニス(pf) / モスクワ音楽院コンサート/ショパン, メンデルスゾーン, シューマン 他
商品コード: 1352-046p
商品詳細:バイロン・ジャニス(1928-2024)は東欧系ユダヤ人として、アメリカ・ペンシルバニアに生まれる。8歳の時に初めてのリサイタルを行い、それがロシア出身の名ピアニストのヨーゼフ・レヴィンと夫人ロジーナ・レヴィンの知るところとなり、夫妻の下で2年間にわたってレッスンを受け、その後レヴィンの助手をしていたアナディール・マーカスに師事し、ジュリアード音楽院に進む。1944年、ジャニスが16才の時にピッツバーグで幼いときからの友人であったロリン・マゼールの指揮でラフマニノフのピアノ協奏曲第2番を演奏した。マーカスは語る。「このとき、すでにジャニスはロマン派の音楽に対する豊かな想像力と卓抜な解釈を持っていた」と。すでに若い有望なピアニストであったジャニスに大きな幸運がこの時訪れている。コンサートを聴いていたウラディミール・ホロヴィッツが楽屋のジャニスを訪ね、「君のピアノには閃きがある」と語り、「ニューヨークに来たら、電話をしてくれ。是非レッスンをしてあげたい。」と申し出たのだ。そして四年にわたってジャニスはホロヴィッツのレッスンを受けることとなった。ホロヴィッツの3人の弟子の1人として学ぶことになる。1958年にヴァン・クライバーンが第1回チャイコフスキー国際コンクールで優勝をさらうと、米ソの芸術における雪解けムードが高まる。そのような時期の1960年、バイロン・ジャニスは最初のアメリカ人として当時のソ連に派遣され、モスクワ公演を行った。それは驚異的なまでの成功を収め、米ソ交流の架け橋となる。これは恐らく、ジャニスの2回目のモスクワ公演と思われる。この録音もそのライブ録音と思われる。ピアノ王国での海外公演は勇気がいるものだが、ジャニスのスタイルは技巧派だがロシア・ピアニズムとは異なる点が多く、大ざっぱに言って、アメリカンスタイルではないだろうか。旧ソ連では誰も聴いたことがないスタイルのはずで、そういう意味で人気となったのだろう。やや大袈裟で見栄を切ったような演芸的スタイルは米国のショービジネスの流れである。ジャニスはわざわざ、この演芸的スタイルで観客を驚かせ、湧かせている。優れた技巧が基本にあるから様になる芸術である。ダイナミズム、そして正確無比、一切の妥協と曖昧さのないピアノを基本として、時に超人的技を見せる公演である。1960年代はじめ、彼は、ヴァン・クライバーンと並ぶアメリカのスターとなり、ラフマニノフのスぺシャリスト熱狂させた記録である!
ジャニスの在庫一覧へ
