商品コード:1352-005[ELECTROLA] G.ヌヴー(vn) / シベリウス:Vn協奏曲
商品コード: 1352-005
商品詳細:1945年11月21日ロンドンでのSP録音。ジネット・ヌヴー(1919-1949)は、10歳にして大家ジョルジュ・エネスクに学び、それでも物足りなくて11歳でパリ音楽院のジュール・ブーシュリのクラスに入る。そのクラスも入学後わずか8ヶ月で首席に輝いて卒業してしまった。15歳の時にヴィエニャフスキ国際コンクールで、ダヴィッド・オイストラフを抑えて優勝し大きな注目を集めた。ヌヴーに敗れたオイストラフは妻に宛てた手紙の中で「2位になれたことで、ぼくは満足している」と述べ、ヌヴーのことを「悪魔のようだった」と述べている。稀にみる天才的ヴァイオリニストで将来はフリッツ・クライスラー、ジャック・ティボーと並ぶ名人になることを確実視されていたが、1949年10月27日、兄ジャンと共にエールフランスのロッキードL-749コンステレーションに搭乗し、三度目のアメリカ演奏旅行に向けて旅立ったが、同機はアゾレス諸島の主島であるサンミゲル島の山中に墜落し、乗員と48人の乗客は全員死亡した。このエールフランス機には、エディット・ピアフの愛人としても知られるフランス人プロボクサー、マルセル・セルダンも同乗していた。ヌヴーの遺体は、発見された時に愛器ストラディヴァリウスを両腕に抱え込むようにしていたと伝えられる。ヌヴーの遺体はパリに運ばれ、ペール・ラシェーズ墓地のショパンの墓のすぐ近くに葬られた。フランス政府からレジオンドヌール勲章が授与された。1970年代英国HMVから大半の録音を集めた箱が発売され、当曲もそこに含まれるものの1950年代製造の盤のクオリティは高い。ヌヴーが録音した協奏曲はブラームスとシベリウスの2曲だけである。ブラームス(ドブロウエン指揮)はCOLHシリーズで発売されたが、シベリウスはCOLHシリーズで発売されずに1957年に英国とフランスで12"LPでスーク:4つの小品Op.17とカップリングされて発売された。特に英国盤は非常に高額である。ドイツでは1958年10月にシベリウス:Vn協奏曲が1曲入りの10"でELECTROLAで初LPリリースされた。しかし御存じの通り、ELECTROLAが使用した材料には表面隆起の危険因子が含まれており、以前はアジア圏だけの問題と思われたが、現在では欧州域内でもこの現象がみられるようになった。発生していない個体もあるがそれは時間の問題で100%発生すると見て間違いない。当盤においてはキズ情報欄を参照されたい。演奏内容に関しては危険を犯しても聴きたい素晴らしい演奏である。
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