商品コード:1354-035p[SUPRAPHON] V.カメニーコヴァー(pf) / ショパン:Pf作品集/バラード4曲, マズルカ3曲
商品コード: 1354-035p
商品詳細:ヴァレンティーナ・カメーニコヴァー(1930- 1989)はソビエト連邦時代のウクライナ・オデッサ(オデーサ)生まれ。ユダヤ人家庭に生まれた女性ピアニスト。1941年の第二次世界大戦中、彼女はユダヤ人政策によシベリアに抑留された。最初はオデッサの地元の音楽学校で、次にオデッサ音楽院、後にモスクワ音楽院でハインリヒ・ネイガウス教授の下でピアノを学び、演奏した。1954年にチェコ人と結婚し、1957年に家族とともにチェコスロバキアに移住。1959年から1961年まで、プラハ演劇芸術アカデミーでフランティシェク・ラウフ教授の下でピアノの大学院研究を行った。1963年よりプラハ音楽院で教鞭を執り、1970年にはプラハ演劇芸術アカデミーの講師を務めた。1976年にはパロマ・オシェア・サンタンデール国際ピアノ・コンクールの審査員を務めた。彼女は卓越したピアノテクニックを持つロシア音楽の著名なクラシック音楽解釈者であり、批評家から高く評価された。最終的に約50枚の録音を残した。ネイガウス一派としておかしくないのだが、佐藤氏はカメーニコヴァーをロシア・ピアニズムでは扱っていない。最終的はチェコ・ピアノ・スクールに組した為だろう。ソ連留学したチェコ国籍のユダヤ人としての扱いらしい。恐らくソ連国籍ではない留学生は大勢いたのだろう。ETERNAのペーター・レーゼルもその一人である。それらのピアニストたちは「ロシアピアニズム」の対象外として、語られることがないのが残念である。しかし、その他の離国者たちは転居先の国でロシアピアニズムを伝え、それぞれの役割を果たしていることが素晴らしい。それだけロシアピアニズムは揺るぎない技術を持っていることが証明されるのである。カメニーコヴァーは第1世代の古いタイプのロシアンスクールの技を身につけているようだ。古典的な技巧を使い、美しい表現力で穏やかなスタイルであることが解かる。カメニーコヴァーはその後SUPRAPHONに1990年頃まで多くの録音を残したが源流がロシアンスクールの出身者であることは知られていない。ネイガウスの直弟子たる実力を持ったピアニストといえる。ロシアンスクールの若手世代に見られるメカニック重視のピアニストではない。それがよくわかるショパン作品集。
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