商品コード:1354-020tb[SUPRAPHON] H.アーベントロート / ブラームス:交響曲3番
商品コード: 1354-020tb
商品詳細:ヘルマン・アーベントロート(1883-1956)はフルトヴェングラー(1886-1954)やクナッパーツブッシュ(1888-1965)と同世代のドイツの巨匠指揮者。旧東ドイツのライプツィヒを拠点に活躍していた為、西側にとっては"幻"の指揮者であった。この録音はETERNA未発売の音源でチェコのULTRAPHON所蔵音源である。ライプツィヒ放送o.による大量の音源をこの放送局は財源確保のため米国URANIAに売却しているがブラームスは売却していないと思われる。ブラームスは1番を除く3曲がライプツィヒ放送so.と録音された。1番は 1956年1月16日、2番は1952年3月3日、3番は1952年3月17日、4番は1954年12月8日録音である。1番のみバイエルン放送o.との録音。但し1949年10月20日にライプツィヒ放送o.との録音もあり、SUPRAPHONでの音源は1949年のライプツィヒ放送o.であると思われる。4番は録音にETERNAが関与したとみられETERNAからはブラームス:交響曲4番だけが発売された。アーベントロートは1922年からはベルリン国立歌劇場でも指揮者となる。1934年1月、ナチス・ドイツより「ナチスの政策に非協力的であること」「ユダヤ人社会ならびにユダヤ人とその文化に好意的であること」などの理由から、職を解かれ、公職追放された。同年、ベルリンからライプツィヒに移住。ブルーノ・ワルターが亡命して空席となっていたライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団常任指揮者に就任し、終戦まで務めた。1945年末にゲヴァントハウス管弦楽団を退任し、翌1946年よりヴァイマル音楽大学学長ならびにリスト博物館館長に着任。1949年よりライプツィヒでの指揮活動を再開し、ライプツィヒ放送交響楽団首席指揮者に、1953年からはベルリン放送交響楽団首席指揮者に就任。戦後は東ドイツに留まったが、西ドイツのオーケストラへも度々客演している。1951年にはプラハの春音楽祭に東ドイツ代表として参加。1954年から1955年まで、東欧各地やバルカン半島でも演奏活動を行っている。1956年5月下旬、イェナに演奏旅行で滞在中に脳卒中に倒れ、いったんは手術により小康状態を保つが、5月29日に病院内の庭を散策中に再び倒れ、そのまま帰らぬ人となった。葬儀は6月2日に、東ドイツにより国葬として行われた。アーベントロートこそ唯一フルトヴェングラーの「ドラマティック」な演奏に対抗できた劇場型スタイルの指揮者であった。近年の評価はあまりに不当だといえる。大人しい出だしで始まるが躍動感が強く、オケの推進力はさすがのものがある。
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