商品コード:1356-048[MUZA] W.マウツジンスキ(pf)/ ショパン:Pf作品集/Pf協奏曲2番 他

[ 1356-048 ] Chopin, Witold Małcużyński, Warsaw National Philharmonic Symphony Orchestra, Witold Rowicki


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商品コード: 1356-048

作品名:ショパン:Pf作品集/Pf協奏曲2番Op.21--1.Maestoso--2.Larghetto-- | --3.Allegro. Vivace, 12の練習曲Op.25~第7番 嬰ハ短調Op.25-7, マズルカ第41番 嬰ハ短調Op.63-3, スケルツォ第3番 嬰ハ短調 Op.39
演奏者:W.マウツジンスキ(pf)W.ロヴィツキ指揮ワルシャワpo.
プレス国:ポーランド, Poland
レーベル:MUZA
レコード番号:XL 0048
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7
評価/ジャケット:B : 右側に修理跡あり
キズ情報:A面2時方向に無音シミあり
レーベルタイプ:【ポーランドでのオリジナル】---薄黄色/黒太内溝, センターホール上にMade in Poland DLUGOGRAJACA, フラット重量, 表記されたレコード番号:XL 0048, Price Code:なし, Rights Society:BIEM, Ⓟなし, スタンパー/マトリクス:NXW 95/NXW 96 2 (手書き文字スタンパー・MUZAタイプ), MUZA録音モノラル製造を示すNXW***で始まりレコード番号を含まない専用マトリクス使用, 補助マトリクス:M-U/M-U, 補助マトリクス:なし, 1950年代スタンパーによる1958年頃の製造分, 旧番号存在せず, これより古いレーベル存在せず, 最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在しないと思われる, ステレオ存在せず, RIAAカーヴではない, MUZA音源のMUZA制作プレス, 工場:Wytwórnia Polskie Nagrania, オリジナル, original
ジャケット:【ポーランドでのオリジナル】---両面紙ペラ, 表記されたジャケット番号:XL 0048, Price Code:zł 80. -, 背文字:なし, ジャケ裏年号:なし, ⓅⒸなし, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:不明(年号記載ないが当ジャケットである), 製作:Polskie Nagrania Muza, 印刷:記載なし・ポーランド製, これより古いジャケット存在せず, オリジナル, original
トピックス:【入荷の少ない希少タイトル!】---1957-8年頃のポーランド・ワルシャワでのモノラル録音, 録音技師:Janusz Urbański, プロデューサー:不明, 1958年頃Polskie Nagrania Muzaによりコピーライト登録・同年MUZA:XL 0048(当装丁)にて初リリース, これはポーランドでの初年度リリース分オリジナル, 入荷の少ない希少タイトル, マウツジンスキのショパン:Pf協奏曲2番は録音順にP.クレツキ(1953年):33CX 1066→W.ロヴィツキ(1957-8年):XL 0048→W.ジュスキント(1959年):33CX 1695/SAX 2344, 当録音は2回目となる , MUZAにおけるレーベルの色はケースバイケースで完全な規則性が乏しい印象があるが1980年代はクリーム色レーベルのみと思われる

商品詳細:マウツジンスキのショパン:Pf協奏曲2番といえば1953年ロンドンでのP.クレツキとのモノラル録音、英COLUMBIA:33CX 1066が知られる。またワルター・ジュスキント指揮ロンドン交響楽団と1959年7月6-7日のモノラル/ステレオ録音、33CX 1695/SAX 2344もまた人気が高い。これは同じショパン:Pf協奏曲2番だがそのどちらでもないポーランド録音である。年代は恐らく1957-8年頃と思われる。英COLUMBIAの2つの録音の中間に位置する。ポーランドではまだステレオ録音は無くモノラルのなかでも初期録音である。オケはこの時期の当然のようにW.ロヴィツキ/ワルシャワpo.である。ヴィトルト・マウツジンスキ( 1914-1977)はポーランド・ワルシャワ近郊コジチンの生まれ。ワルシャワ音楽院でフェルッチョ・ブゾーニ門下のユゼフ・トゥルチンスキに師事した。1936年には、元ポーランド共和国首相で19世紀ロマン派ピアニストの黄金時代を知るイグナツィ・パデレフスキの薫陶も受けた。1937年に開かれたショパン国際ピアノ・コンクールで第3位に入賞した後、パリ音楽院に留学してイシドール・フィリップやマルグリット・ロン等の教えも受けている。また、パリではフランスのピアニストであったコレット・ガヴォー(Colette Gaveau)と結婚している。フランスが降伏するとコレット夫人と共にポルトガルに逃れ、そこで思いがけずグジェゴシュ・フィテルベルクと出逢う。フィテルベルクから南米での演奏旅行を持ち掛けられて1940年10月にアルゼンチンに行き、1942年4月にはアメリカ合衆国に移った。戦後はスイスに移住してその地に暮らした。英国COLUMBIAに多くのショパン録音を残している。1960年には、ワルシャワで開かれたショパン生誕150年祭で18回のコンサートを行って大評判となり、ワルシャワ・ショパン協会の名誉会員に選ばれ、ショパン・コンクールの審査員も務めた。マウツジンスキの録音の大半が確かに英COLUMBIAである。しかし、稀に故国ポーランドでのMUZAにも録音がある。これはMUZA録音でも初期で、同時期にブラームス:Pf協奏曲1番も同じオケと録音している。英COLUMBIAだけで十分という方には必要のないLPだが、故国での録音に面白味を感じる方にはまたとない機会。地元録音とあってリラックスムードで制約から解放されたかのような自由度の高い演奏。抑え気味が感じられる英COLUMBIA録音より本来のマウツジンスキの個性が窺える秀演である。Pf協奏曲2番は一時「日本酒」TV-CMで第2楽章が使われ印象に残った方もおられるだろう。B面の小品3曲は味わい深い秀演で、Pf協奏曲2番に興味がない方にもこの3曲は聴き応えあり。

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