商品コード:CDR-T14M.d.ブルショルリ(pf) / シューマン:謝肉祭Op.9
商品コード: CDR-T14
商品詳細:[テープ起こしシリーズ]いつの時代も悲劇的な終焉を迎える芸術家は存在してきたが、モニク・ド・ラ・ブルショルリ(1915-1972)も、そんな非業の運命を辿った一人だった。1915年パリにて音楽家の家系に生まれ、父親の従兄弟(はとこ)は作曲家メサジェ、母方の高叔父も作曲家ボイエルデューだった。このボイエルデューから名前を貰ったのでフルネームは『Monique Adrienne Marie du Roselle de la Bruchollerie』と非常に長い。そして、その両親の親友だったパリ音楽院のイシドール・フィリップ、その後はウィーンの地でリストの高弟であるザウアーに師事した。また、少女時代のブルショルリの家の二軒隣には「展覧会の絵」の編曲中だったラヴェルが滞在しており、彼との思い出も印象深く語っている。17歳でパリ音楽院を首席で卒業すると当時の若い女性には考えられない行動力を発揮して自費でコンサートを企画、その演奏を聴いたミュンシュから熱望されパリ音楽院o.の専属ピアニストとして活動を始めると、1951年にはアンセルメからオファーを受けて米国デビュー、その後も共演者と聴衆から熱狂的な支持を受けて世界中をコンサートで駆け回り、フランス内外で「女神(la déesse)」と称賛された。素晴らしい技巧と情念を感じさせる陶酔的な表現が有り、彼女の演奏を一度でも聴けば、未だに然るべき評価が得られていないことを実感すると思う。ただし、残念なことに「音が死ぬ」とまで言ったほどの生粋の「録音嫌い」でもあった。ようやく近年になってパウムガルトナー指揮ウィーン・プロムジカo.と共演したモーツァルト:Pf協奏曲などで本邦でも注目を集めたが、再評価は生誕100周年に発売された未発表録音を集めたCDを待つしかなかった。そして、彼女に悲劇が訪れたのは1966年冬のツアー中のことだった。ルーマニアの雪道で自動車の衝突事故に遭い、頭蓋骨の骨折、左目の失明、そして左半身付随となり演奏活動からの引退を余儀なくされると、6年後の1972年に再び事故に遭い、悲劇的な最後を迎えてしまう。悲しい事実として、同じく若くして飛行機事故で夭折したジネット・ヌヴーとは音楽院時代からの友人で共演も盛んだったという。約33年の演奏家人生だったが、世界中をツアーで駆け回っただけあって演奏レパートリーは非常に多いピアニストだった。面白いのは本人が思い出を語るほど強い印象を受けたラヴェルの作品、特にピアノ協奏曲は絶対に弾かなかったという事実である。理由は10歳下の後輩にサンソン・フランソワがいたからで「あの曲はね、彼に弾かれるために生まれてきたのよ」と本人は語ったという。実際、彼女の多彩なレパートリーの中では、本人の「お転婆」な気質に合うのかモーツァルトやシューマン、ショパンなど奇矯な逸話が伝わる作曲家の作品だった。当CD-Rは、そのシューマンの作品の中でも最も遊び心に富んだ「謝肉祭」Op.9を収めた希少録音となる。
ブルショルリの在庫一覧へ
関連カテゴリ







