[DECCA] J.カッチェン(pf) / ベートーヴェン:ディアベッリ変奏曲Op.120

[ 1183-031pc ] Beethoven, Julius Katchen ‎– Diabelli Variations

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商品コード: 1183-031pc

作品名:ベートーヴェン:ディアベッリ変奏曲Op.120
演奏者:J.カッチェン(pf)
プレス国:英国, United Kingdom
レーベル:DECCA
レコード番号:SDD 229
M/S:ステレオ, stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:8/7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【英国でのステレオ再版】---白/黒Ace Of Diamonds 小レーベル, グルーヴガード厚手, 表記されたレコード番号:SDD 229, Tax Code:なし, Rights Society:記載なし, (P)1961, スタンパー/マトリクス:ZAL-5005-3W/ZAL-5006-3W/ (ストレート小文字スタンパー・英国DECCAタイプ), DECCA規格のステレオ製造を示すZAL**で始まりレコード番号を含まない専用マトリクス使用, カッティング担当:イニシャルWのHarry Fisher (ハリー・フィッシャー), 補助マトリクス(3時):CH/CH, 再補助マトリクス(9時):1/31, 1960年代スタンパーによる1970年頃製造分, 大デッカED1存在する, ED2/ED3も存在すると思われる, ED4は存在せず, これより古いステレオレーベルは存在する, ステレオ最古レーベル・最厚プレスではない, 更に古いマトリクスが存在する, カッティング担当前任者:イニシャルEのStanley Goodall , モノラル存在する, RIAAカーヴである, 英DECCA音源の英DECCA製作プレス, 工場:Decca Record Co. Ltd., Pressing Plant, UK, ステレオ・再版, re issue for stereo
ジャケット:【英国でのステレオ再版】---表コートペラ, 表記されたジャケット番号:STEREO SDD 229, Price Code:なし, 背文字:あり, (P)なし(C)1970, ジャケ裏年号:なし, 当社入荷履歴上で最古の年号/実在する最古の年号:不明(年号記載ないが当ジャケットである), 旧番号・旧デザイン存在する, ラウンド折返両面コートペラ・Scalloped' Flipbac(ホタテ貝)タイプ存在せず, 折返表コートペラタイプは存在する, これより古いタイプ存在する, ステレオ・再版, re issue for stereo
トピックス:1960年10月13-14日ロンドン・West Hampstead Studio 1, London・でのモノラル/ステレオ録音, 録音技師:Kenneth Wilkinson, プロデューサー:Kenneth Wilkinson, 編集/マスタリング:Guy Fletcher(モノラル)/Stanley Goodall(ステレオ), 1961年The Decca Record Company Limited. Londonによりコピーライト登録・同年9月モノラル:LXT 5621(銀中溝)/ステレオ:SXL 2262(ED1)で初リリース→1970年頃SDD 229に番号変更(当盤), 米国では1961年 London Records: CM 9272/CS 6203で初リリース, SXL 2262(ED1)が入荷すれば6万円はすると思われる, ジュリアス・カッチェンは肺癌に侵されていて、1969年春、わずか42歳で帰らぬ人となった, これは2回目録音で初回録音はモノラルjでLXT 2804(1953年発売)が存在する, 演奏:★★★★★, 音質:★★★★+

商品詳細:ジュリアス・カッチェン( 1926 - 1969)はアメリカ、ニュージャージー州ロング・ブランチ出身。14歳になるまで、モスクワ音楽院やワルシャワ音楽院の教師であったユダヤ系の祖父母に音楽を学ぶ。10歳でモーツァルトのピアノ協奏曲第20番ニ短調(全3楽章/K.466)を弾いてデビュー。その演奏を聴いていたオーマンディに招かれ、ニューヨークでフィラデルフィア管弦楽団と共演する。1947年の春にヨーロッパ各地を廻り米国には戻らなかった。録音の殆どはDECCAで英国人ではなかったがカーゾンと並び、DECCAで看板ピアニストの役割を担った。カッチェンは基本的に弟子をとることをしていなかった。ただ一人の例外が、晩年に教えたパスカル・ロジェである。1968年12月12日にロンドン交響楽団とラヴェルの《左手のための協奏曲》を共演したのが、最後の公開演奏となった。また、同じ時期にローリング・ストーンズのロックンロール・サーカスにも参加し、二曲を演奏したがお蔵入りとなり2004年に初公開された。当時、カッチェンは"あまりに急ぎすぎる""衝動的に(情熱に駆られてともいえる)突進する"とずっと批判されていた。これに対して、編集者のジェレミー・ヘイズは「それほどに音楽的な衝動に突き動かされてピアニストが弾いているのを聴くことができるというのは、驚くべきことだ」と言っている。英国ではカーゾンと並ぶ人気を誇った。しかし42歳で肺がんの為亡くなった。1949年、彼が23歳の時に弾いたブラームスのピアノ・ソナタ第3番がデビュー録音である。ジョン・カルショウが録音を担当し、以降二人は家族ぐるみの付き合いがある友人同士だった。その後DECCAに9年をかけてブラームスのピアノ作品全集の録音を行い、今以って高い人気と評価を持つ。カッチェン=ブラームスのスペシャリストというイメージが定着した。1966年にシュタルケルがマーキュリーとの独占契約を解消し、アディロンダック音楽祭の創設に関わっていた頃、カッチェンがシュタルケルを訪ねてきて、一緒にブラームスのピアノ室内楽を録音しないかと提案。シュタルケルが呼吸が合うかどうか試してみようと答えたので、数ヵ月後、シュタルケルが演奏会をしていたロッテルダムにカッチェンがパリからやって来て、チェロ・ソナタを一緒に弾いてみた。それから彼らのブラームスの室内楽録音計画がスタート。スークを加え、ブラームス室内楽全集が始まった。1969年春にブラームスのピアノ四重奏曲、ピアノ五重奏曲の録音と、チェロ・ソナタ(第1番)の再録を開始する予定だったが、4月にカッチェンが急逝した為、この計画は実現しなかった。1968年11月に、ケルテス指揮ロンドン交響楽団の伴奏により演奏された、ラヴェルの「左手のためのピアノ協奏曲」が、カッチェンが残した最後の録音となった。

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