商品コード:1220-045n[ELECTROLA] D.スグロス(pf) / リスト:超絶技巧練習曲集(全12曲)~1,2,3,5,8,10,11番,メフィスト・ワルツ1番「村の居酒屋での踊り」

[ 1220-045n ] Dimitris Sgouros, Liszt – Etudes D'Execution Transcendante / Mephisto - Walzer Nr. 1


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商品コード: 1220-045n

作品名:リスト:超絶技巧練習曲集(全12曲)~1番ハ長調『前奏曲』,2番イ短調,3番ヘ長調『風景』,5番変ロ長調『鬼火』,8番ハ短調『荒々しき狩』,10番ヘ短調 | ~11番変ニ長調『夕べの調べ』,メフィスト・ワルツ1番「村の居酒屋での踊り」
演奏者:D.スグロス(pf)
プレス国:ドイツ, Germany
レーベル:ELECTROLA
レコード番号:2701771
M/S:デジタル・ステレオ,digital・stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:8/7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【ドイツでのオリジナル】---後期大ニッパー,DMM,DIGITAL RECORDING LC0233,9時にMade in Germany by ELECTROLA,表記されたレコード番号:27 0177 1,Price Code:なし,グルーヴガード厚,Rights Society:記載なし,(P)1985,スタンパー/マトリクス:2701771TA2 - D DS 1-3 8 192/2701771TB1 - D DS 2-38192 (ラウンド中文字スタンパー・ELECTROLAデジタルタイプ),ELECTROLAデジタル製造を示すレコード番号で始まる専用マトリクス使用,補助マトリクス:なし,再補助マトリクス:なし,1980年代製造のスタンパーによる1985年頃の製造分,旧番号存在せず,赤EMIニッパーレーベル存在せず,ドイツでこれより古レーベル存在せず,ドイツでの最古レーベル・最厚プレスである,更に古いマトリクス存在しないと思われる,モノラル存在せず,RIAAカーヴである,EMI系デジタル音源のELECTROLA制作プレス,工場:HQ, studios and pressing plant in Cologne,ドイツでのオリジナル,original in De
ジャケット:【ドイツでのオリジナル】---見開両面コートペラ,EMI DIGITAL,表記されたジャケット番号:067 2701771,Price Code:80,背文字:あり(黒色・白背景・上赤),ジャケ裏年号:なし,(P)(C)1985,当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:不明(年号ないがドイツでは当ジャケットである),製作:EMI Electrola GmbH. Kōln.,印刷:4P nicolaus GmbH..Koln.,ドイツでこれより古いタイプ存在せず,ドイツのオリジナル,original in De
トピックス:【入荷2度目のレア・デジタル】---1984年6月9-10日ロンドン・No.1 Studio, Abbey Road, Londonでのデジタル録音,録音技師:Christopher Parker,プロデューサー:John Fraser,1985年Electric & Musical Industries Limired. Hayes・Middlesex・Englandによりコピーライト登録・同年 His Master's Voice:EL 2701771(同一レーベル・ドイツプレス)にて初リリース,ドイツでは同年ELECTROLA:2701771(当装丁)にて初リリース,当社入荷2度目のレア・デジタル,ディミトリス・スグロス(Δημήτρης Σγούρος)は1969年生まれのギリシャのピアニストでこれは14歳でのデビュー録音!

商品詳細:D.スグロス(pf)によるリスト:超絶技巧練習曲集(7曲)、メフィスト・ワルツ1番。'69年アテネ生まれ10代でギリシャ音楽院の教授となったスグロスを代表する一枚と言ってよいだろう。多くの天才が存在するが、彼も間違いなくその一人、若きヴィルトーゾと言う言葉がこれ程似合うピアニストもいない。「ピアノは簡単すぎる」と言って他の分野に転進した彼の言葉を納得せざるを得ない演奏。ディミトリス・スグロス(Δημήτρης Σγούρος)はアテネ生まれのギリシャのピアニスト。神童の名をほしいままにし、10歳でアテネ国立音楽院のピアノ科教授となった。7歳でリサイタル・デビュー。12歳のときにロストロポーヴィチ指揮ラフマニノフの『ピアノ協奏曲第3番』でカーネギー・ホール・デビュー。13歳でラフマニノフの『ピアノ協奏曲第3番』を弾き、英国ロイヤル・フェスティヴァルホール・デビュー(ロストロポーヴィチ指揮/ロンドンPo.)。翌日のザ・タイムズ紙に、「大成功を博した。大成功を博したばかりではなく、しずかに大成功をおさめた。あれは最大の脅威だった」と論評された。また45曲のピアノ・コンチェルトをレパートリーにしていたという。アルトゥール・ルービンシュタインをして、"私を含めたすべてのピアニストの中で最も優れている"と言わしめ、愛用の金時計をプレゼントされた。 1983年にベルリン・フィルハーモニー管弦楽団とラフマニノフのピアノ協奏曲第3番を録音(指揮はユーリ・シモノフ)。現在も教育と芸術を合わせた講義を世界各地の大学で行っており、母国を中心にコンサート活動を行っている。何とこの録音は14歳の時である!

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