商品コード:1223-029p[MELODIYA] L.ベルマン(pf) / シューマン:Pfソナタ3番Op.22, 幻想小曲集(2曲), シューベルト(リスト編):6曲
商品コード: 1223-029p
商品詳細:ラーザリ・ベルマン(1930- 2005)はレニングラード(現サンクトペテルブルク)生まれ。ラザール・ベルマンが通例だが佐藤泰一氏はラーザリとしている。モスクワ音楽院でアレクサンドル・ゴリデンヴェイゼルに師事するかたわら、スヴャトスラフ・リヒテルやヴラディーミル・ソフロニツキー、マリヤ・ユーディナからも指導を受けた。エミール・ギレリスから「音楽界の神童」と呼ばれた。10歳でモスクワ・フィルハーモニー管弦楽団と共演してモーツァルトのピアノ協奏曲第25番を演奏し、公式デビューを果たす。1941年に第二次世界大戦の勃発により、ヴォルガ川河畔のクーイブィシェフへ疎開を余儀なくされる。生活状況の悪化から、母親は息子の指がかじかむことのないように、自分の手袋の指を切って、息子に(手袋の指を)与えなければならないほどだった。間もなく国際的な桧舞台に少しずつ進出し、12歳のときの『ラ・カンパネラ』の演奏は、ラジオ放送を通じてイギリスの聴衆にも知られるようになった。1956年のブダペスト国際音楽コンクールにおいて優勝し、1956年にはウラジミール・アシュケナージと共にベルギーのエリザベート王妃国際音楽コンクールに参加し、5位に入賞している。1975年にアメリカ合衆国に演奏旅行を行うまでは無名だったが、ニューヨーク・デビューではリストの『超絶技巧練習曲』を演奏して、電撃的な大評判を巻き起こした。DGG/EMI/CBSが競ったが3社に籍を置く(同時ではない)。多くの方がDGGのLPで初めてベルマンを知ったのでは?DGG以前にMELODIYAにモノラルで8点を残している。ステレオでも13点ものLPを出しているがこれらはDGGとかぶる。ソ連当局は1980年になってもベルマンを厳しく監視した為、1990年イタリアに出たまま戻らなかった。鮮やかな超絶技巧と芝居っ気たっぷりの演奏、濃やかな情緒表現と強靭なタッチが特徴的で人気を集めたベルマンだが流石にDGGの録音にはその片鱗しか確認できない。本来のベルマンの演奏はMELODIYA時代のモノラル録音で聴くことができる。リスト弾きと認識されているが、近代作品は殆ど録音せず、ショパン、リストなどロマン派作品を得意とした。だた、今となっては、カラヤンと出会うチャンスを得て西側で成功したロシアンスクールの一人であり、他のロシアンスクール生から一人だけ飛び抜けたピアニストではない。但しトップグループの一人ではある。
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