商品コード:1256-053p[CONCERTEUM] S.バレル(pf) / リスト:ドン・ジョヴァンニ幻想曲, 演奏会用エテュード, ペトラルカのソネット104番, 忘れられたワルツ, ラ・カンパネッラ
商品コード: 1256-053p
商品詳細:シモン・バレル(1896 – 1951)は当時はロシア帝国、現ウクライナ・オデッサの生まれで、ユダヤ人の家族の13人の子供のうちの11人目であった。彼はサンクトペテルブルク音楽院でアンナ・エシポワ、次にフェリックス・ブルーメンフェルトに師事。ピアニストのウラディミール・ホロヴィッツもフェリックス・ブルーメンフェルトの弟子で、バレレはブルーメンフェルトの好きな生徒であったという。卒業後、彼は地域全体でコンサートを行い、キエフ(キーウ)音楽院で教職に就く。彼はベルリンに移住し、次にスウェーデンに移住、そして最後に米国へ移住した。1935年の秋、彼はハロルド・ホルトの管理下で英国をツアーし、リヒャルト・タウバーのサポートアーティストとして数々の出演を果たした。 1934年から1936年の間にアビーロードスタジオで行われたSP録音が多数ある。音楽評論家の ハロルド・C・シェーンバーグに、「バレルはカラフルなピアノの音色を生み出し、非常に音楽的である」。と言わしめた。特に彼のスピードと指の器用さで知られ、バラキレフのイスラメイと他の多くの録音の彼の演奏は称賛された。バレルはカーネギーホールで毎年リサイタルを行い、息子のボリスがしばしば録音を行った。1947年にカーネギーホールで生演奏された演奏の中には、1950年代にレミントン・レコードでリリースされたリストのロ短調ソナタがあり非常に有名な録音。その他リストのスペイン狂詩曲、ドン・ファンとハンガリー狂詩曲の回想録第12番、ブルメンフェルトの左手だけの練習曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番等がある。 バレルは1951年3月にレミントンのために一連の録音を行い、翌月に突然亡くなってしまう。1951年4月2日、バレレはカーネギーホールでユージンオーマンディがフィラデルフィア管弦楽団とグリーグのピアノ協奏曲の演奏中に脳出血を起こし、彼は倒れ、その後まもなく舞台裏で亡くなった。55 歳であった。これは1951 年 3 月レミントンのスタジオでの録音で米国ではREMINGTON:R-199-35でリリースされた得意のリスト・リサイタル。同時期の1950 年に録音されたリスト (ファウスト ワルツ、リーベストトラウム、グノーメンライゲン) とショパン (バラード第 1 番とスケルツォ第 3 番) はR-199-17 で発売されバレルの名を世界に知らしめた。R-199-35(ドン ファン ファンタジー (モーツァルト-リスト)、エチュード ド コンサート (リスト)、ソネット デル ペトラルカ (リスト)、ヴァルセ ウーブリエ (リスト)、カンパネラ (パガニーニ-リスト)、1947年カーネギーホールライブがR-199-141(バラキレフのイスラメイ、ラフマニノフのプレリュード第 5 番、12 番、ポルカ、ブルーメンフェルドの左手のためのエチュード、シューマンのトッカータ、トラウメスヴィレン、リストのスペイン狂詩曲)、R-199-85(ロ短調ソナタ入り)等がある。当時、リストでは右に出るものが居ない天才的名手だった。
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