[DECCA] V.アシュケナージ(pf) D.ジンマン指揮ロンドンso. / バッハ:Pf協奏曲1番B.1052, ショパン:Pf協奏曲2番Op.21

[ 1281-013 ] Bach, Chopin, Ashkenazy, Zinman Concerto In D Minor / Piano Concerto No. 2

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商品コード: 1281-013

作品名:バッハ:Pf協奏曲B.1052 | ショパン:Pf協奏曲2番Op.21
演奏者:V.アシュケナージ(pf)D.ジンマン指揮ロンドンso.
プレス国:英国, United Kingdom
レーベル:DECCA
レコード番号:SXL 6174
M/S:ステレオ, stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:8/7
評価/ジャケット:A : 軽度のシワあり
キズ情報:
レーベルタイプ:【英国でのステレオ・第3版】----大デッカ溝なしED3, 10時方向にMade in England ~, グルーヴガード厚手, Rights Society:記載なし, (P)1965(6時), Tax Code:J/T(1968年11月~1973年4月までを示す), スタンパー/マトリクス:ZAL-6661-5G/ZAL-6662-6G (ストレート小文字スタンパー・DECCAタイプ), DECCA規格のステレオ製造を示すZAL-***で始まりレコード番号を含まない専用マトリクス使用, 補助マトリクス(3時):BR/BG, 再補助マトリクス(9時):1/3C, カッティングマスター:イニシャルGはTed Burkett (テッド・バーケット)を示す, 1960年製造のスタンパーを使った1969年頃製造分, ED1/ED2レーベル存在する, これより古いステレオ・レーベル存在する, フラット盤存在せず, ステレオ最古レーベル・最厚プレスではない, 更に古いマトリクス存在する, モノラル存在する, RIAAカーヴである, カッティングマスターの前任者:B面だった, 工場:Decca Record Co. Ltd., Pressing Plant, UK, DECCA音源のDECCA製作プレス, ステレオ・第3版, 3rd issue for stereo
ジャケット:【英国でのステレオ・オリジナル・タイプ】----表コートペラ, 2時に□黒背景DECCA, 表記されたジャケット番号:SXL 6174, Price Code:なし, 背文字:あり(黒色・クリーム背景・上下絞り), (P)なし(C)1965, ジャケ裏年号:なし, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:不明(年号記載ないが当ジャケットである・但し色調が薄い), 製作:The Decca Record Company Limited. London, 印刷:James Upton Ltd. Birmingham & London , 折返しタイプ存在せず, これより古いタイプ存在しないが色調が濃いタイプがある, ステレオ・オリジナル・タイプ, original typr for stereo
トピックス:1965年1月ロンドンにてモノラル/ステレオ録音, 録音詳細不明, 編集/カッティングマスター:Ted Burkett/George Bettyes, 1965年The Decca Record Company Limited. Londonによりコピーライト登録・同年DECCA:LXT 6174/SXL 6174(ED1レーベル・当デザインジャケット入り)にて初リリース→1967年頃同一番号・ED2レーベル→1969年頃同一番号・ED3レーベル(当盤)---1972年頃同一番号・ED4レーベル---と変遷する, これは第3版に付き格安とした, ED1レーベルは存在するがかなり希少し, アシュケナージのDECCA初期録音!

商品詳細:1965年アシュケナージの初期録音。ウラディーミル・アシュケナージ(1937-)は旧ソヴィエト連邦のゴーリキーの生まれ。9歳の時にモスクワ音楽院附属中央音楽学校に入学し、アナイダ・スンバティアンに師事した。1955年にはワルシャワで開催されたショパン国際ピアノ・コンクールに出場し、2位に輝いた(優勝はアダム・ハラシェヴィチ)。この時にアシュケナージが優勝を逃したことに納得できなかったアルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリが審査員を降板する騒動を起こしたことはよく知られている。同じ年にモスクワ音楽院に入学、レフ・オボーリンやボリス・ゼムリャンスキーに師事した。翌1956年にはエリザベート王妃国際音楽コンクールに出場して優勝を果たし、これを機にヨーロッパ各国や北米を演奏旅行してセンセーショナルな成功を収めた。EMIやメロディアからレコードも発売され、音楽院在学中から国際的な名声を確立した。1962年にはチャイコフスキー国際コンクールに出場し、ジョン・オグドンと優勝を分け合った。1963年にソヴィエト連邦を出国し、ロンドンへ移住、DECCAと契約した。1970年頃からは指揮活動にも取り組み始め、1974年には指揮者として初の録音を行った。ピアニストとして世界的な名声を持つがDECCAで相当な優遇を得たことは間違いない。バックハウス以来のべートーヴェンのピアノ・ソナタ全集録音を行うなど、多くの録音を行ううちに、当初の輝きが失われていったように思う。しかしドル箱として録音を継続できた要因はDECCAが期待しすぎたと言えまいか。この録音はまだ初心を持っていた時期の録音で情熱を感じられる演奏である。ショパン・コンクールを切っ掛けに国際的な名声を確立した経緯もあってショパン作品には精力的に取り組んでおり、評価は高い。この録音ではジンマン指揮のロンドンso.もアシュケナージ以上に素晴らしい演奏である。1960年代後半までの録音なら比較的良く、内容は悪くない。

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