[MUZA] R.トーテンベルク(vn) S.ヴィスロツキ指揮ワルシャワ国立po. / バッハ:Vn協奏曲1番B.1041, Vn協奏曲2番B.1042

[ 1283-054 ] Roman Totenberg, Bach, Stanislaw Wislocki ‎- Violin Concerto No. 1 In A Minor; Violin Concerto No. 2 In E Major.No. 2

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商品コード: 1283-054

作品名:バッハ:Vn協奏曲1番B.1041, Vn協奏曲2番B.1042
演奏者:R.トーテンベルク(vn)S.ヴィスロツキ指揮ワルシャワ国立po.
プレス国:ポーランド, Poland
レーベル:MUZA
レコード番号:XL 0049
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7
評価/ジャケット:A
キズ情報:B面5時に無音スレあり
レーベルタイプ:【ポーランドでの第2版】---緑/黒内溝, ▽M33, 6時にMade in Poland, フラット重量, Rights Society:BIEM, (P)なし, 表記されたレコード番号:XL 0049, マトリクス/スタンパー:XW 98/XW 98 2 GA (手書き文字マトリクス・MUZAタイプ), MUZAモノラル製造を示すXW***で始まりレコード番号を含まない専用マトリクス使用, 補助マトリクス:A/-, 再補助マトリクス:なし, 1950年代製造のスタンパーを使った1959年頃製造分, 旧番号存在せず, 黒/銀内溝レーベル存在するが同じフラット重量盤で大きく変わらない, これより古いレーベル存在する, 最古レーベル・最厚プレスではない, 更に古いマトリクス存在するか不明, MUZA音源のMUZA製作プレス, 工場: Polskie Nagrania Muza, 第2版, 2nd issue
ジャケット:【ポーランドでのオリジナル】---紙ペラ, 表記されたジャケット番号:XL 0049, Price Code:zł 80. -, 背文字:なし(初期の証拠), (P)なし, ポーランド語表記の国内仕様, ジャケット裏年号:459/D 2000 M-6/2121, 当社入荷履歴の最古裏年号/存在が確認された年号:459/D 2000 M-6/2121(当ジャケットである), 製作:Polskie Nagrania Muza, 印刷:ł .Z.Graf Zam., オリジナル, original
トピックス:1959年録音らしいが定かではない, 詳細不明, 1959年頃Polskie Nagrania Muzaによりコピーライト登録・同年MUZA:XL 0049(黒/銀内溝レーベル・フラット重量・当ジャケット入り)にて初リリース, これは緑/黒内溝レーベル・フラット重量の同年・もしくはすぐ後のプレスで殆どオリジナルタイプ盤がオリジナルジャッケットに入るケースで第2版だがオリジナルに近い初期盤, 完全なオリジナルは滅多にない, より珍しい緑フラットレーベル!他には東独ETERNA:720 083, Heliodor:478 033/89555, これはお宝級の初期盤・超希少盤!

商品詳細:ポーランド生まれのトーテンベルクのバッハ協奏曲。勿論、MUZAがオリジナル。今までETERNAの10"でしか見た事がなかった。さすがにMUZAの初期プレスはSPのように存在感が強い。古い録音なので材料が悪く多少のノイズはあるが鮮度の高い音質。ETERNAの10"よりリアリティで勝っている。今まではトーテンベルクはバッハ無伴奏が知られていたがそれは1970年代西側録音だった。これはトーテンベルクの最初期地元録音。スタイルは古典的なヴィルトゥオーソの一人で1950年代の名手に共通するものもあるが、どちらかと言えばクールビューティ・タイプ。常に穏やかな表情で大袈裟な表現を嫌っていたようだ。少々大人しく感じるかも知れないが、押さえた美学を持ったソリストだった。バッハ協奏曲ファンには滅多に出ないMUZA初期盤!音質は非常に良い!ロマン・トーテンベルク( 1911- 2012)はポーランド・ウッチ出身のヴァイオリニスト。6歳でヴァイオリンを始め、ミエチスワフ・ミハロヴィチにヴァイオリンを学ぶ。1923年にワルシャワ・フィルハーモニー管弦楽団と共演してデビューを果たし、その後、ベルリンに留学してカール・フレッシュ門下となった。1931年には国際メンデルスゾーン賞を受賞し、パリでピエール・モントゥーやジョルジェ・エネスクらと共演し、ダリウス・ミヨーの知己を得た。1935年にはイギリスとアメリカに演奏旅行を行い、成功を収めた。1938年にはアメリカに移住している。その後は、アメリカを中心に演奏活動を展開し、アルトゥール・オネゲルの無伴奏ヴァイオリン・ソナタのアメリカ初演、ウィリアム・シューマンのヴァイオリン協奏曲、クシュシュトフ・ペンデレツキのカプリッチョなどの初演を担当した。また、教育活動にも従事し、アスペンやタングルウッドで継続的に後進の指導に当たったほか、1961年から1978年まではボストン大学の弦楽器部門の主任教授を務めていた。2012年米国マサチューセッツ州ニュートンで没。

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