商品コード:1284-009pb[Le Club Français Du Disque] K.リステンパルト指揮ザール室内o. R.ブルダン(fl) M.アンドレ, M.ラゴルス, J.マース(tp) / バッハ:管弦楽組曲(全4曲)B.1066-9
商品コード: 1284-009pb
商品詳細:バッハの大規模作品の中で、管弦楽組曲だけは駄作だと思っておられる方は、是非このリステンパルトの録音を聴いていただきたい。今までのものがつまらなく聴こえていたのは、演奏が悪いからだと気付かされるはずである。何をやっても、その音楽の本質を引き出し、誰もやらなかった見事な形にして我々に“これが本物なんだよ"と提示してくれるこの天才指揮者の手に掛かれば、組曲もこうなるという見本。リステンパルトは管弦楽組曲を2回録音しており、初回は1950年代Les Discophiles Françaisから10"×4枚でリリースされた・12"は未発売。2回目は1960年Le Club Français Du Disquehの録音で同じザール室内o.だがソリストが異なる。何故か当時ERATO専属のモーリス・アンドレがトランペット奏者として参加している。DFのLPは10"しか出ていないこともあり入手は難しい。1960年の2回目録音で彼らの管弦楽組曲への解釈に迫ることができる。管弦楽組曲では絶対に外せない録音であると信じる。フランスではモノラルのみ発売されたが、1973年米国 Everest :SDBR 3354/2でステレオ盤が出でいる。但し真正ステレオであるかは未確認。1953年の夏からリステンパルトはザール室内管弦楽団の指揮者として活動を開始した。その時点でザール室内管弦楽団は16人の音楽家で構成され、その内の10人はリステンパルトと共にベルリンから移った若い音楽家だった。中ではヘンデル・カルテットのリーダーであったゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルが管弦楽団の首席ヴァイオリン奏者となった。フランスの一流演奏家との共演はとりわけ実り多いものとなった。多くの演奏会、録音、交流が生まれることになった。たとえば、フルート奏者のジャン=ピエール・ランパルや彼の木管アンサンブルである〝Le Quintette à vent Français〟のメンバーたちである。1967年12月、リステンパルトはグルベンキアン室内管弦楽団との演奏旅行でポルトガルに滞在中に心臓発作に襲われ、クリスマス・イブにリスボンの病院で死去した。ザール室内管弦楽団はリステンパルトの死という喪失を生き延びることはできなかった。リステンパルトの死後、高名なチェリスト、アントニオ・ヤニーグロ(Antonio Janigro)を指揮者として迎え4年間の活動が続いたが(1968年~1972年)、中心になっていた音楽家である首席ヴァイオリン奏者のゲオルク·フリードリヒ·ヘンデルとその妻で首席チェロ奏者のベティ・ヒンドリクス=ヘンデル(Betty Hindrichs-Hendel)を1970年に自動車事故で失なうことになった。1973年にザール室内管弦楽団はザールブリュッケン放送交響楽団に吸収された。---http://en.wikipedia.org/wiki/Karl_Ristenpart より。ザール室内管弦楽団と運命共同体とも言えるLe Club Français Du Disqueレーベルは1968年に15年間の活動に幕を閉じた。
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