[CBS] B.ワルター指揮コロンビアso. / ハイドン:交響曲88番「V字」, 100番「軍隊」

[ 1305-037 ] Bruno Walter Conducts Haydn, The Columbia Symphony Orchestra – Symphony No. 88 In G Major / Symphony No. 100 In G Major (Military)

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商品コード: 1305-037

作品名:ハイドン:交響曲88番 ト長調 Hob. I:88「V字」| 交響曲 第100番 ト長調 Hob. I:100 「軍隊」
演奏者:B.ワルター指揮コロンビアso.
プレス国:フランス, France
レーベル:CBS
レコード番号:S 72141
M/S:ステレオ, stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【フランスでのステレオ・オリジナル】---青eye2重内溝, 9時にSTÉRÉO, 外周5mmにコート帯あり, 6時にMede in France CBS Inc.(ラウンド黒文字), グルーヴガード厚手, 表記されたレコード番号:S 72141, Rights Society:DP, (P)なし, Price Code:なし, マトリクス/スタンパー:CBS LPL 1Y D3/CBS LPL 2Y D1 (ラウンド中文字スタンパー・仏CBS/仏PHILIPSタイプ), 仏CBSステレオ製造を示すCBS***で始まりレコード番号を含まないフランス専用マトリクス使用, 補助マトリクス:A3/A3, 再補助マトリクス:なし, 1960年代のスタンパーによる1964年頃の製造分, カッティング担当:不明, PHILIPSレーベル存在せず, 旧番号存在せず, フランスでこれより古いステレオレーベル存在せず, フランスでのステレオ最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在するか不明, モノラル存在する, RIAAカーヴである, 米COLUMBIA音源の仏CBS製作仏PHILIPSプレス, 工場:Société Phonographique Philips, フランスでのステレオオリジナル, original for stereo in Fr.
ジャケット:【フランスでのステレオ・オリジナル】---折返表コートペラ, 12時に←□STEREO→, 10時に白ベース□CBS eyeマーク, 表記されたジャケット番号:S 72141(MS 6486), Price Code:なし, 背文字:あり(黒色・クリーム背景), (P)(C)なし, ジャケ裏年号:なし, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:不明(年号記載ないがフランスでは当ジャケットである), 製作:CBS Disques S.A.., 印刷:Imprimerie Carron & Fils.Lyon-Villeursanne, 欧州ではPHILIPSに旧番号存在せず, 仏CBSにこれより古いタイプ存在せず, フランスでのステレオオリジナル, original for stereo in Fr.
トピックス:1961年3月2/4/8日ハリウッド・アメリカ・リージョンホール(アメリカ在郷軍人会ホール)・American Legion Hall, Hollywood・でのモノラル/ステレオ録音, 録音技師:不明, プロデューサー:John McClure, 米国では1963年Columbia Graphophone Company Ltd.によりコピーライト登録・同年米COLUMBIA:ML 5886/MS 6486(6eysレーベル)にて初リリース, フランスでは1964年頃仏CBS:72 141/S 72141(当装丁)にて初リリース, 当社初入荷の希少タイトル, 英国では1964年頃英CBS:BRG 72141/SBRG 72141にて初リリース, B.ワルター指揮コロンビアso.によるハイドン:交響曲はこの2曲だけである, ニューヨークpo.とは96/102番がある

商品詳細:指揮者ブルーノ・ワルター(1876 - 1962)はドイツ系ユダヤ人の父親と、東ヨーロッパから移住したユダヤ系の母親の間の子として、ベルリンに生まれた。ベルリンのシュテルン音楽院を卒業後、ピアニストとしてデビューしたが、ハンス・フォン・ビューローの実演を目の当たりにして指揮者になることを決意し、1894年にケルン市立歌劇場でデビューした。1896年にはハンブルク歌劇場へ移った。そこで当時音楽監督(1891年 - 1897年)、すなわち上司であったグスタフ・マーラーに認められ、マーラーの部下、そして親友として交流を深めていった。なお、ワルターはマーラーに指揮を師事したことはなく「マーラーの弟子」という表現は適切でない。戦後はヨーロッパの楽壇にも復帰し、1947年から1949年の間にニューヨーク・フィルハーモニックの音楽顧問を務めるなど、欧米で精力的に活躍を続けたが、1957年に心臓発作で倒れてしばらく休養していた。そこにコロンビア・レコード社の経営陣はカリフォルニア州ビバリーヒルズにおいて半ば引退生活を送っていたワルターに、一連のレパートリーのステレオによる再録音するよう説得する。同社はワルターの芸術をこの最新技術のステレオで後世に残すべく、特別編成のオーケストラであるコロンビア交響楽団を組織する用意があると説得した。このプロジェクトは早速1957年から始まり、優先度の高いベートーヴェン、ブラーム、モーツァルトの交響曲を次々に完成させていった。1960年にブラ―ムスの管弦楽曲まで録り終えたコロンビア・レコードはまだ余力があったワルターと協議してハイドンの録音に入る。結局88/100番の2曲で終わるものの、ステレオ録音が出来たことは両者にとって幸いであった。流石のワルターもベートーヴェンでは力を入れた演奏だったが、ハイドンでは良い意味で力が抜けた穏やかさが全面に出た演奏。ワルターが指揮台に立って棒を振っただけで音楽が流れ出したかのような自然体を感じさせる演奏である。ハイドンはこんな力みのない演奏でも不思議とハイドンはマッチしてしまう。箸休めのような2曲だが、1961年3月に欲張らず2曲だけ録音した。何故ならこの録音から11か月後の1962年2月に心不全のためカリフォルニア州ビバリーヒルズの自宅で85歳で死去となる。

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