商品コード:1307-027t[ETERNA] K.ザンデルリング指揮ベルリンso. / ショスタコーヴィチ:交響曲6番Op.54

[ 1307-027t ] Schostakowitsch - Berliner Sinfonie-Orchester, Kurt Sanderling – Symphonie Nr.6 H-Moll op.54


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商品コード: 1307-027t

作品名:ショスタコーヴィチ:交響曲6番Op.54/-- 1.Largo-- | --2.Allegro-- 3.Presto
演奏者:K.ザンデルリング指揮ベルリンso.
プレス国:旧東ドイツ, Germany East
レーベル:ETERNA
レコード番号:827 437
M/S:ステレオ, stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:8/7
評価/ジャケット:B : 多少のシワあり
キズ情報:A面10時に微かに6回出るスレあり
レーベルタイプ:【旧東ドイツでのオリジナル】---黒/銀, STEREO ○○ST33, グルーヴガード厚, Rights Society:AWA, (P)なし, スタンパー/マトリクス:827 437-1B/827 437-2A (ラウンド小文字スタンパー・ETERNA新タイプ), ETERNA録音を示す8***で始まりレコード番号を含む専用マトリクス使用, 補助マトリクス:K80 W M/J80 W M, 再補助マトリクス:A2 1K/A4 R, 再々補助マトリクス:なし, 1980年10月/1980年9月製造のスタンパーによる1980年製造分, 旧番号/V字ステレオ存在せず, ツヤレーベル存在せず, これより古いレーベル存在せず, 最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在するか不明, 更に古い補助マトリクス存在しないと思われる, モノラル存在せず, RIAAカーヴである, ETERNA制作音源のETERNA制作プレス, カッティング担当:イニシャルW Mは不明, 工場: VEB Deutsche Schallplatten Potsdam-Babelsberg, オリジナル, original
ジャケット:【旧東ドイツでのオリジナル】---両面紙ペラ, 表記されたジャケット番号:827 437, Price Code:12.10 M, 背文字:あり(黒色・白背景), (P)(C)なし, ジャケット裏年号:Ag 511/01/81, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:Ag 511/01/81(当ジャケットである・一致), 製作:VEB Deutsche Schallplatten Berlin. DDR, 印刷:VEB Gotha-Druck, ツヤジャケット存在せず, これより古いジャケット存在せず, オリジナル, original
トピックス:【入荷2度目の希少タイトル】---1979年4月25-27日東ベルリン・イェズス・クリストゥス教会スタジオ(Studio Christuskirche, Berlin DDR)でのステレオ録音, 録音技師:Eberhard Richter, プロデューサー:Heinz Wegner, 1981年VEB Deutsche Schallplatten Berlin. DDRにてコピーライト登録・同年ETERNA:827 437(当装丁)にて初リリース, 入荷の少ない1枚で当社入荷2度目の希少タイトル, K.ザンデルリング指揮ベルリンso.のショスタコーヴィチ:交響曲は第1番(1983)/第5番(1982)/第6番(1979)/第8番(1976)/第10番(1977)/第15番(1978)の6曲のみ存在, 全曲録音はない

商品詳細:ショスタコーヴィチの交響曲はロシア勢の独壇場と思われている方には是非、ザンデルリング/ベルリンso.を試していただきたい。全曲録音はないが1976年~1983年の間に第1番(1983)、第5番(1982)、第6番(1979)、第8番(1976)、第10番(1977)、第15番(1978)の6曲を録音している。この時期はザンデルリングがベルリン交響楽団の音楽監督を務めた1960年 - 1977年にかぶっており、在任の後期にETERNAでは殆ど録音がなかったショスタコーヴィチを持ってきた事がザンデルリングのロシア時代を忘れていない事を思い出させる。クルト・ザンデルリング( 1912- 2011)は東プロイセンのアリス(現在のポーランド・ヴァルミア=マズールィ県オジシュに生まれた。ナチスが勢力を拡大すると、親がユダヤ人であった彼はドイツ国籍を剥奪され、1935年におじが在住していたソビエト連邦に亡命した。同国ではモスクワ放送交響楽団でジョルジュ・セバスティアンのアシスタントとして研鑚を積んだ。1941年にレニングラート・フィルハーモニー交響楽団の第一指揮者に就任し、エフゲニー・ムラヴィンスキーの下で更に研鑚を積んだ。このソ連滞在中にドミートリイ・ショスタコーヴィチと知り合い、親交を結んだ。1958年のレニングラート・フィルの初訪日公演では指揮者の一人として日本を訪れた。1960年に東ドイツ政府に請われて帰国し、ベルリン交響楽団の芸術監督、首席指揮者に就任、短期間のうちにこの歴史の浅いオーケストラを同国屈指のレベルにまで鍛え上げた。1964年から1967年まではドレスデン・シュターツカペレの首席指揮者も兼務した。1977年にはベルリン響のポストを退いたが、同楽団とは以後も終身客演指揮者、名誉指揮者として緊密な関係を保った。その後はフリーの立場で精力的な活動を続けた。ザンデルリングにとってショスタコーヴィチは第二の故郷ともいうべきロシア・ソ連の音楽であり、ムラヴィンスキーの指揮を頻繁に目の当たりにしていたはずである。但しザンデルリングの演奏はムラヴィンスキーとは似て非なるスタイル。所謂、大風呂敷を広げた誇大広告のようなスタイルではない。東ベルリンの市民オケであったベルリン交響楽団の、ほの暗く渋い音色を生かした、抑えの効いた演奏になっている。じわじわと深みに誘われる感覚で、いかにも東ドイツらしいショスタコーヴィチといえる。ザンデルリングはその後CDでドレスデンsk.と再録音を行い、2015年に6番~2019年15番をもって全曲録音を果たした。ザンデルリング/ベルリンso.のショスタコーヴィチはどれもプレスが少なく、当時東ドイツでもあまり話題にならなかった可能性が高い。今聴いてみると、これはザンデルリング/ベルリンso.でしかできない唯一無二の演奏といえる。6番は1979年4月録音で黒盤がオリジナル。6番は特に希少!

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