商品コード:1307-027t[ETERNA] K.ザンデルリング指揮ベルリンso. / ショスタコーヴィチ:交響曲6番Op.54
商品コード: 1307-027t
商品詳細:ショスタコーヴィチの交響曲はロシア勢の独壇場と思われている方には是非、ザンデルリング/ベルリンso.を試していただきたい。全曲録音はないが1976年~1983年の間に第1番(1983)、第5番(1982)、第6番(1979)、第8番(1976)、第10番(1977)、第15番(1978)の6曲を録音している。この時期はザンデルリングがベルリン交響楽団の音楽監督を務めた1960年 - 1977年にかぶっており、在任の後期にETERNAでは殆ど録音がなかったショスタコーヴィチを持ってきた事がザンデルリングのロシア時代を忘れていない事を思い出させる。クルト・ザンデルリング( 1912- 2011)は東プロイセンのアリス(現在のポーランド・ヴァルミア=マズールィ県オジシュに生まれた。ナチスが勢力を拡大すると、親がユダヤ人であった彼はドイツ国籍を剥奪され、1935年におじが在住していたソビエト連邦に亡命した。同国ではモスクワ放送交響楽団でジョルジュ・セバスティアンのアシスタントとして研鑚を積んだ。1941年にレニングラート・フィルハーモニー交響楽団の第一指揮者に就任し、エフゲニー・ムラヴィンスキーの下で更に研鑚を積んだ。このソ連滞在中にドミートリイ・ショスタコーヴィチと知り合い、親交を結んだ。1958年のレニングラート・フィルの初訪日公演では指揮者の一人として日本を訪れた。1960年に東ドイツ政府に請われて帰国し、ベルリン交響楽団の芸術監督、首席指揮者に就任、短期間のうちにこの歴史の浅いオーケストラを同国屈指のレベルにまで鍛え上げた。1964年から1967年まではドレスデン・シュターツカペレの首席指揮者も兼務した。1977年にはベルリン響のポストを退いたが、同楽団とは以後も終身客演指揮者、名誉指揮者として緊密な関係を保った。その後はフリーの立場で精力的な活動を続けた。ザンデルリングにとってショスタコーヴィチは第二の故郷ともいうべきロシア・ソ連の音楽であり、ムラヴィンスキーの指揮を頻繁に目の当たりにしていたはずである。但しザンデルリングの演奏はムラヴィンスキーとは似て非なるスタイル。所謂、大風呂敷を広げた誇大広告のようなスタイルではない。東ベルリンの市民オケであったベルリン交響楽団の、ほの暗く渋い音色を生かした、抑えの効いた演奏になっている。じわじわと深みに誘われる感覚で、いかにも東ドイツらしいショスタコーヴィチといえる。ザンデルリングはその後CDでドレスデンsk.と再録音を行い、2015年に6番~2019年15番をもって全曲録音を果たした。ザンデルリング/ベルリンso.のショスタコーヴィチはどれもプレスが少なく、当時東ドイツでもあまり話題にならなかった可能性が高い。今聴いてみると、これはザンデルリング/ベルリンso.でしかできない唯一無二の演奏といえる。6番は1979年4月録音で黒盤がオリジナル。6番は特に希少!
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