[MELODIYA] M.ヴォスクレセンスキー(pf) / ショパン:ポロネーズ集(全16曲)

[ 1308-063pb ] Chopin - Mikhail Voskresensky ‎– Polonaises

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商品コード: 1308-063pb

作品名:ショパン:ポロネーズ全集(全16曲)/第1番 嬰ハ短調Op.26--第2番 変ホ短調Op.26--第3番 イ長調Op.40「軍隊」--第4番 ハ短調Op.40--第5番 嬰ヘ短調Op.44--第6番 変イ長調Op.53「英雄」--第7番 変イ長調Op.61「幻想」-- |--第8番 ニ短調Op.71-1--第9番 変ロ長調Op.71-2--第10番 ヘ短調Op.71-3--第11番 ト短調KK.IIa/1--第12番 変ロ長調KK.IVa/1--第13番 変イ長調KK.IVa/2--第14番 嬰ト短調KK.IVa/3--第15番 変ロ短調KK.IVa/5「別れ」--第16番 変ト長調KK.IVa/8
演奏者:M.ヴォスクレセンスキー(pf)
プレス国:旧ソ連, Soviet Union
レーベル:MELODIYA
レコード番号:C 04553-6
M/S:ステレオ, stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×2, Wジャケット2枚組, 2 single records
評価/レコード:8/7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【旧ソ連でのオリジナル世代】---ピンク/黒SL(シングルレター), 外周1.5cmに低い盛上りあり, CTEPEO ○○33, グルーヴガード厚, ГОСТ 5289-73, TУ-なし, Repertoire group:Вторая гр-2, Price Code:1-20, Год выпуска(発行年):なし, スタンパー/マトリクス:33C 04553 4-4/33C 04554 4-1 2・33C 04555 4-2 3/33C 04556 4-2 4 (ラウンド小文字スタンパー・MELODIYA通常タイプ), 1970年代のスタンパーによる1973年頃の製造分, DLレーベル存在せず, これより古いステレオレーベル存在せず, 旧ソ連でのステレオ最古レーベル・最厚プレス世代である, ГОСТがあればГОСТ 5289-73が最初(当盤), 更に古いマトリクス存在するか不明, モノラル存在せず, RIIAAカーヴである, 露語表記・国内仕様, MELODIYA音源のMELODIYA製作プレス, モスクワ・アプレレフカ「Aprelevsky」アプリラフスキー工場製作, ノーマル・カップリング, 旧ソ連でのステレオ・オリジナル世代, original generation for stereo
ジャケット:【旧ソ連でのオリジナル世代】---見開両面紙ペラW(モスクワ・アプレレフカ), 表記されたジャケット番号:33 C 04553-56, Price Code:Цена 3 руб. 70 коп., 背文字:なし, ジャケ裏年号:Apt.61-8 Зак.なし, (P)(C)なし, 製作/印刷:Апрелевский Завод Грампластинок , 箱も存在するが工場違いで同年発売と思われる, オリジナル, original
トピックス:1973年モスクワにてステレオ録音, 録音技師:Edvard Shakhnazarian, プロデューサー:不明, 1973年MELODIYA:C 04553-6(当装丁)にて初リリース, 1973/80/83/88年にそれぞれ異なる形で発売, この箱入りシングルレターが1973年のモスクワ・アプレレフカでの初出の形と思われる, 工場により箱入りなどの装丁に違いが有る, ショパン弾きフリエールと肩を並べる鬼才M.ヴォスクレセンスキーのポロネーズ!Y.フリエール(pf)はポロネーズ全集を録音しておらず丁度良い, 演奏:★★★★★, 音質:★★★★

商品詳細:ロシアの大物による、ポロネーズ全集。ヴォスクレセンスキーは、四大教師K.イグムノフからの系譜を持つL.オボーリンの正統的な後継者として知られる優等生で、ショパンのスペシャリストとしても知られるピアニスト兼音楽教師。当盤も彼が最も得意とするショパンであり、取り分け技巧性の高さと叙情性の両面を見事に融合した演奏は圧倒的。計算され尽くした解釈ながら美しすぎる音色、立ち上がりの鋭いタッチと今までの演奏を覆すかのような圧巻のクオリティーを有する金字塔!モスクワ音楽院の教授として長く強い影響力を持ったヴォスクレセンスキーが2022年妻子と共に米国に亡命したことがニュースとなった。このニュースを掲載した記事には次のようなことが書かれていた。---1962年の第1回ヴァン・クライバーン国際コンクールで第3位に入賞したあとに計画されていたアメリカツアーの際、KGBからアメリカにいるスパイ(?)に密書伝達ミッションを与えられ、それを悩んだあげくに断ったっていう事が書いてあるんですよね。そのためツアーはキャンセル、その後13年間ソ連の外に出ることが叶わなかったと。亡命に際しては、ロシアのワクチン、スプートニクではアメリカに入国が出来ないためトルコに長期滞在してワクチン接種をしたこと、お金がなくてモスクワのアパートを売却しなければならなかったこと、売却で得たお金を西側に送金できなかったのでベトナムに預けたこと、ビザがなかなか取れず最終的にはナポリで取ったこと、アメリカに着いてからもアパートがなかなか見つからなかったこと、スタインウェイ社が楽器を貸与してくれることになったがアパートの階段を通らずだめだったこと(ただいまヤマハのキーボードで練習中)など。ジュリアード音楽院でさっそくマスタークラスを開催することになり、3時間の間に49人もの生徒から申し込みがあったとのこと。ヴォスクレセンスキーはマスタークラスでしょっちゅう来日して教えていたらしい。しかし今87歳(2022年10月当時)という年齢的なことも考えると相当な決意がなければ出来ないことだったであろうと思います。---と締めくくられていた。モスクワ音楽院教授でも経済的には西側の庶民より悲惨な生活であったことが窺い知れる。亡命以前はモスクワ音楽院教授・ピアノ科長、国際スクリャービン協会会長、桐朋学園大学客員教授だった。無事に亡命ができたことは喜ばしい。

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