商品コード:1319-054[RCA] S.リヒテル(pf)/ ベートーヴェン:Pf協奏曲1番, Pfソナタ22番
商品コード: 1319-054
商品詳細:1915年ウクライナでドイツ人を父に生まれたスヴャトスラフ・リヒテル。彼の特徴は、全て独学でピアノをスタートさせた所に原点があることだ。後にネイガウスに師事するも、既に完成しており、ネイガウスは何も教えることはなかったと残している。1960年、初めてアメリカ・ツアーを果たす。これはその年、'60年の録音。ホロヴィッツと並び評されるこのピアノの巨人を米RCAは見逃さず、可能な限りの録音を試みた。ミュンシュ/ボストンso.の力のあるオケに一歩も引けを取らない精力の塊のようなリヒテルのピアノ。この時西側ではロシアでの演奏を聴いた欧米人から噂が広まり、一部の録音や評価は西側諸国でも認識されていた。しかし、冷戦で対立していた西側諸国への演奏旅行はなかなか当局から許可が下りなかった。当局は西側への旅行を認めた場合に彼が亡命することを警戒していたともいわれる。1958年第1回チャイコフスキー国際コンクールが開催され、この大会を制したヴァン・クライバーンが滞在中に聴いたリヒテルの演奏について「生涯で聴いた中で最もパワフルな演奏であった」と帰国後に語ったことで、このピアニストの評判は米国で更に高まることとなった。リヒテルはこの第1回チャイコフスキー国際コンクールで審査員を務め、クライバーンに満点の25点をつけ、他の全てのピアニストに0点をつけたらしい。リヒテルは1960年5月にようやく西側での演奏を許可され、ヘルシンキでのコンサートに「伴奏者」として派遣された。同年中にはアメリカへもツアーも行い、1960年10月から12月にかけてアメリカの各地でコンサートを行い、センセーショナルな成功を収めた。これはそのツアー真っ只中の録音である。RCAが威信をかけてミュンシュとの共演で録音を行った1枚。勿論MELODIYA側でもリリースされたがモノラルのみの発売。米国RCAでは翌1961年にモノラル/ステレオの2種で発売された。
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