商品コード:1319-017[Chant du Monde] W.シュトロス(vn) H.エンドレス(vn)/R.シュルツ(vn)/バッハ:Vn協奏曲2番, 2Vn協奏曲
商品コード: 1319-017
商品詳細:今や伝説的なヴァイオリニストになったヴィルヘルム・シュトロス。彼が入れたバッハが一つだけあった、2Vn協B.1043。シュトロスが第1Vn、H.エンドレスが第2Vn、そしてこの曲はシュトロス自身の指揮。もう1曲B.1042はA.シュルツ(vn)のソロ、この人もナゾの名手である。そのB.1043のテンションの高さは圧倒的で、数あるこの曲の中でも感動を呼ぶ真の名演。音質は非常に良く、弦の軋みすら胸に訴えかける。名盤と呼ぶに相応しい王者の演奏。プレスは僅か!ヴィルヘルム・シュトロス(1907- 1966)はドイツのノルトラインヴェストファーレン州のラインジーク地区アイトルフの生まれ。ドイツを代表するヴァイオリニスト兼指揮者であった。彼はミュンヘンとケルンの音楽アカデミーの教授であり、またシュトロス四重奏団の首席奏者でもある。7歳の時にはジークブルクのミヒャエルスベルクにある駐屯地病院でソロコンサートを行った。 10歳のとき、ケルン音楽院のヨーゼフ・ヨアヒムの生徒であるブラム・エルダーリングのマスタークラスに入学を認められた。指揮者のヘルマン・アーベントロートも彼の教師の一人だった。 彼は新設されたケルン国立音楽大学で州免除を受けた。 1928年、22歳で名誉あるメンデルスゾーン賞を受賞。 1930年に彼は芸術学校の試験を優秀な成績で受けて合格した。シュトロスはベルリンに行き、エドウィン・フィッシャーの室内オーケストラのコンサートマスターとして働き、カール・フレッシュに師事して研究を続けた。 1932年、ピアニストのエリー・ナイとチェリストのルートヴィヒ・ヘルシャーによる第2回エリー・ナイ・トリオのメンバーに任命された。1934年、現在のミュンヘン音楽演劇大学にドイツ最年少のアカデミー教授として招聘された。ここで彼は、チェリストのアントン・ヴァルター、ヴィオリストのヴァレンティン・ヘルトル、そして第二ヴァイオリンをアントン・フーバーとするシュトロス四重奏団を再編成し、すぐに主要な室内楽グループの一つとしての地位を確立した。1941 年、シュトロスは自分の名を冠した室内オーケストラを設立した。1955年、シュトロスはドイツの「音楽大使」としてコンラート・アデナウアーの歴史的なソ連訪問に同行した。 1966年ロタッハ・エガーンで亡くなり、当地のプロテスタント墓地に埋葬されている。シュトロスの録音は少なく、1970年代に入りマイナーレーベル~いくつかのシュトロスQt.の音源が発売されたがソリストとしての録音は非常に少ない。これは1950年代にプレスされた唯一といってよいソリストとしてのLPで、しかも曲がバッハという音源。弟子であったハインツ・エンドレスとのB.1043は張り詰めた空気の中からシュトロスの精神が表出したかのような神々しいソロが聴こえる。片面のVn協奏曲2番B.1042ではR.シュルツがソロを受けてA.ヘリングが指揮を取る録音で、こちらにはシュトロスは登場しない。但しこちらも素晴らしい演奏である。ドイツ、英国では未発売と思われる。
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