商品コード:1322-032[CALLIOPE] G.ダンガン(cl)/ ブラームス:Clソナタ1, 2番
商品コード: 1322-032
商品詳細:CAL 1605でH.ドリュアール(cl)A.ダルコ(pf)で同じブラームス:Clソナタ集録音(1975年録音)を出していたCALLIOPEだったが、約10年後の1985年に別のクラリネット奏者による同曲を録音して発売している。マイナーレーベルでは珍しい事といえる。ここでのクラリネットはギイ・ダンガン(1935-)が担当。彼はフランス・カレー・サン=アン=ゴエルの生まれ。地元のオーケストラで音楽の勉強を始め。1951年から1952年にかけて、リール音楽院でエドモン・ハナールに師事した。その後、パリ音楽院でユリス・デレクリューズに師事し、1953年に一等賞を獲得した。1963年から1993年までフランス国立管弦楽団のクラリネット奏者として、ロリン・マゼール、ネヴィル・マリナー、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、レナード・バーンスタイン、ジャン・マルティノン、カール・ミュンヒンガー、エマニュエル・クリヴィヌ、マルク・スーストロ、カレル・フーサ、マヌエル・ローゼンタールらの指揮のもと演奏した。彼は、ジャン・マルティノン指揮フランス国立管弦楽団との共演により、クロード・ドビュッシーの「狂詩曲」の演奏で、ディスク・グランプリ(アカデミー・シャルル・クロ)を受賞した。室内楽では、アイザック・シュテルン、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、レジス・パスキエ、パトリス・フォンタナローザ、ミシェル・ダルベルト、ローラン・ピドゥーらと共演した。1975年から2000年まで、パリ音楽院の教授として、ダンガンはモスクワのチャイコフスキー音楽院、米国(ロサンゼルス、ボストン、ミネアポリス、シンシナティ)、中国(北京、上海、広州、香港)、台湾、韓国、トルコなど世界各地でマスタークラスを開催した。彼は1972年から1975年までクラリネットを教え、 2000年からはパリのエコール・ノルマル音楽院で教授をしている。彼はビロードット社が出版した楽譜と教育作品集の音楽監督であり、管楽器メーカーのセルマー社の試験官兼設計者でもある。アマチュア音楽界に強い愛着を持ち、フランス音楽連盟 [ fr ]の芸術評議会の会長を数年間務めた。ジャケットにもしっかりとセルマー・クラリネットと明記されている。セルマー社の正式名はアンリ・セルマー・パリでパリ近郊のマント=ラ=ヴィルに拠点を置くフランスの楽器メーカー。1885年に設立され、プロ仕様の木管楽器と金管楽器、特にサックス、クラリネット、トランペットのメーカーとして知られている。アンリ・セルマー・パリはかつて家族経営だったが、2018年にアルゴス・ウィチュに売却された。19世紀後半、アレクサンドルとアンリのセルマー兄弟はパリ音楽院をクラリネット奏者として卒業した。彼らはフランス軍の鼓手長ヨハネス・ヤコブス・セルマーの曾孫、軍楽長ジャン=ジャック・セルマーの孫であり、16人兄弟のうちの2人であった。当時、楽器やアクセサリーは主に手作りであり、プロの音楽家はアクセサリーを自分で作ったり、楽器を修理・改造したりできる技術を身につける必要があると感じていた。1885年にアンリはアンリ・セルマー社を設立し、クラリネットのリードとマウスピースの製造を開始した。アメリカ支社はヴィンセント・バック社を買収し、最終的にCGコーン社を買収してコーン・セルマーとなった。セルマーUKもありギター・アンプに強い。クラリネットは特に「クラリネット—パリ」として有名で1900年頃から近年まで多数のモデルがある。大半がプロ用モデルでプロ演奏家の評価は高い。SPレーベルのSelmerと関係があるか不明。ダンガンの吹く音はH.ドリュアール(cl)が使った楽器より僅かに固めの音に感じる。DFのフランソワ・エティエンヌと同じ楽器のような気がする。Clの名手に捧げたリヴィエの「3つのS」ではランスロ、ドゥブリュと並んで第2楽章を捧げられた。多くの教則本を出しているようだ。
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