商品コード:1326-021n[ETERNA] K.ザンデルリング指揮/ シベリウス:交響曲5番, 悲しいワルツ, フィンランディア
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商品詳細:クルト・ザンデルリングは1912年東プロイセン(現ポーランド領)のアリス生まれ。ザンデルリングとしているがドイツ語ではザンダーリンが一番近い。ザンデルリンクでも誤りではない。1931年ベルリン市立歌劇場の副指揮者となり、クレンペラー、ブレッヒ、フルトヴェングラーらに指揮法学ぶ。母親がユダヤ人であった彼はドイツ国籍を剥奪され、1935年におじが在住していたソビエト連邦に亡命した。同国ではモスクワ放送交響楽団でジョルジュ・セバスティアンのアシスタントとして研鑽を積む。1941年にはレニングラート・フィルハーモニー交響楽団の第一指揮者に就任し、ムラヴィンスキーの下で指揮者の研鑽を積む。その後、1960年に東ドイツ政府に請われて帰国し、1960–1977年ベルリン交響楽団の芸術監督、首席指揮者に就任、短期間のうちにこの歴史の浅いオーケストラを同国屈指のレベルにまで鍛え上げた。1964年-1967年まではシュターツカペレ・ドレスデンの首席指揮者も兼務した。ザンデルリングは1970-77年にシベリウス:交響曲全集録音を行った。どれも内容は良く人気の高いシリーズ!ザンデルリングの論理的な構築性、細部の綿密な表情付け等、自然且つ、生命感のあるシベリウスは特に定評があった。ベルリンのポストを離れた後はフリーとなり各地を客演。2002年引退。ベルリン交響楽団はベルリン歌劇場付きのオケであるベルリン・シュターツ・カペレとは別の旧東ベルリンにあった市民オーケストラである。1925年にブリュトナー管弦楽団が改編・名称変更したオケで1952年頃ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団に名称変更された。首席指揮者はヘルマン・ヒルデブラント(在任・1952–1959)が初代で、クルト・ザンデルリング(在任・1960–1977)が2代目となり、1952年にはクルト・ザンデルリングの下で、東ベルリンにおいて市の機関として再設立され、国際的に高い評価を得た。コンサートは主にメトロポール劇場で行われ、東ベルリンで行われるコンサートの3分の2はこのオーケストラが担当した。ドレスデンにおけるドレスデン・フィルハーモニーo.に近い存在である。演奏は北欧の指揮者とは異なるが自然体で敢えてクールな気分の表現は意識せず、知的で合理的とも言える無駄を排したシンプルな造形に力点を置いたスタイル。地味だが安定感があり暗いトーンながら繊細な表情である。
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