商品コード:1331-001[MERCURY] A.シュナイダー(vn) / バッハ:無伴奏Vnパルティータ1番~2曲 他

[ 1331-001 ] Bach - Alexander Schneider Sonatas Partitas For Unaccompanied Violin ~some part


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商品コード: 1331-001

作品名:バッハ:無伴奏Vnパルティータ1番B.1002~第3曲 Sarabande, 同~第4曲 Tempo di Borea | 無伴奏Vnソナタ2番B.1003~第3曲 Andante
演奏者:A.シュナイダー(vn)
プレス国:フランス, France
レーベル:MERCURY
レコード番号:MEP 14514
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:7インチ, 17cm×1 ドーナツ盤・45RPM
評価/レコード:7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【フランスでの7"のオリジナル】---銀白/赤, 外周2㎝の盛上り, 1時にMade in Frnce(ラウンド白文字), 6時にMicrosillon 45 Tours(ラウンド白文字), フラット厚, Rights Society:DP, (P)なし, スタンパー/マトリクス:EP1 5061 A 2 MF 1/EP1 5061 B MF 1 (ラウンド小文字スタンパー・MERCURY/Pathéタイプ), MERCURY録音を示すEP1***で始まりレコード番号を含む米国型フランス専用マトリクス使用, 補助マトリクス:ストレートMスタンパー・M3-156238/M3-156239, 再補助マトリクス:ストレート・パテキュラー・7E PART 22461/7E PART 22462, ラウンドMERCURY本体とストレートタイプ2種の計3種並存のPathéプレス, 1950年製造のスタンパーによる1954年製造分, 12"が存在・そこからの抜粋と思われる, これより古い7"レーベル存在せず, 7"の最古レーベル・最厚プレスである, 更に古いマトリクス存在せず, ステレオ存在せず, RIAAカーヴである, カッティングマスター:不明, MERCURY音源の仏MERCURY製作プレス, 工場:Pathé Marconi EMI, Chatou, フランスでの7"のオリジナル, original for 7" in Fr.
ジャケット:【フランスでの7"のオリジナル】---両面紙ペラ, 表記されたジャケット番号:MEP 14514/EP-1-5061, Price Code:なし , 背文字:なし(初期の証拠), (P)(C)なし, ジャケ裏年号:12-54, 当社入荷履歴上で最古の年号/存在が確認された年号:12-54(当ジャケットである), 製作:Mercury Fr./Chansons Varietes, 印刷:Imp. G. Et R. Joly , これより古いジャケット存在せず, 12"×4が存在するがこれはそこからの7"抜粋, フランスでの7"のオリジナル, original for 7" in Fr.
トピックス:【7"は初入荷!】---1949年ニューヨーク、リーヴス・スタジオでのモノラル録音, 録音技師:Robert Fine, プロデューサー:Mitchell Miller , 1950年Mercury Record Productionsによりコピーライト登録・同年MERCURY:MG 10017-20(黒/金ツヤ中溝レーベル・4枚組アルバム入り)にて初リリース, フランスでは1950年代初期にCLASSICレーベルから発売されたが全曲出たかは不明, これはそのフランスCLASSICから出たドーナツ盤7インチ・45RPMで当社では初入荷, CLASSICから出たバラ12"は以下を確認している, CLP 6285(B.1001/B.1003), CLP6288(B.1004), CLP 6289(B.1005/B.1006), フランスにバラ4枚存在するか不明, 7"盤はこの1枚だけと思われる, フランスに4枚組箱は存在しない,

商品詳細:ヴァイオリニスト、アレクサンダー・シュナイダー(1908-93)は、リトアニアのヴィルナの生まれ。15歳まで独学でヴァイオリンを弾き、その後ヤッシャ・ハイフェッツを教えていたアウアーの弟子イリヤ・マルキンに師事。1924年、彼はフランクフルトの兄ミッシャ(1904-85)を頼って、ホッホ音楽院でアドルフ・レブナーに師事。フランクフルト・ムゼウム管弦楽団に入団後はアシスタント・コンサートマスターを経て、コンサートマスターに就任。その後、ザールブリュッケンでコンサートマスターのポストに就き、1929年からはオーケストラが忙しいとき以外、ハンブルクの北ドイツ放送で自身の弦楽四重奏団を率いた。1930年以来、兄のミッシャはブダペスト弦楽四重奏団のチェロ奏者となり、1932年には第2ヴァイオリンだったヨーゼフ・ロイスマン(1900-74)がリーダーに昇格し、シュナイダーは第2ヴァイオリンとして参加。ブダペスト弦楽四重奏団には1932年 - 1944年と、1955年 - 1967年の二度在籍した。1938年に本拠地をニューヨークに移し、1944年、シュナイダーは自由な演奏活動のため四重奏団を去り、ダンバートン・オークス室内管弦楽団を指揮し、チェンバロ奏者のラルフ・カークパトリックとデュオを組む。また1951年には自身がリーダーを務めるシュナイダーQt.を結成し、主にハイドンの弦楽四重奏曲の全曲録音を目指した。米国ハイドン協会からの依頼だったらしい。しかし1955年ブダペストQt.のゴロデツキーが急死したことでブダペストQt.を優先しなければならず、ハイドンの全曲録音は未完成に終わり、シュナイダーQt.は自然消滅した。またミェチスワフ・ホルショフスキと共に1950年にプラド音楽祭の発起人を務めたことでも知られる。バッハの無伴奏Vnソナタとパルティータの全曲録音は、アレクサンダー・シュナイダーが米国での最初の全曲録音を行ったヴァイオリン奏者となった。1950年はJ.S.バッハ(1685-1750)の没後200年にあたり、その記念に初の無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ全6曲がアレクサンダー・シュナイダーに託された。記念年に間に合わせる為1949年に録音を行っている。

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