商品コード:1354-025[SUPRAPHON] K.アンチェル / ベートーヴェン:交響曲5番「運命」
商品コード: 1354-025
商品詳細:チェコSUPRAPHON社で最初にベートーヴェン全集を作ったのはP.クレツキ('60年中頃)。それ以前はバラバラの指揮者で一応全曲揃っていた。アンチェルは1/5番の2曲を録音、1950年代の録音でモノラルのみの発売。ドヴォルザークが有名だがベートーヴェンは大変立派な演奏。1番同様スケールが大きくパンチの効いた力量を見せる。チェコpo.がよく鳴っている。これぞ名演!アンチェルの真の実力を見せ付ける一枚。モノラル期の力強い演奏でしかも上品!カレル・アンチェル( 1908 - 1973)は南ボヘミア地方のトゥカピのユダヤ人一家に生まれた。ユダヤ系チェコ人である。1925年から4年間にわたってプラハ音楽院でアロイス・ハーバに作曲を、ターリヒに指揮を学んだ。1933年にはプラハ交響楽団の音楽監督に就任。1939年にチェコがナチス・ドイツの支配下に入ると、ユダヤ系だったアンチェルは職を追われ、家族は強制収容所のガス室で亡くなった。チェコがナチの支配から解放された後、アンチェルは楽壇へ復帰を果たし、プラハ歌劇場の指揮者(1945年 - 1948年)、プラハ放送交響楽団の指揮者(1947年 - 1950年)を経て、1950年にはクーベリックの後任としてチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者に就任する。低迷状態に陥っていたチェコ・フィルを立て直すべく奮闘し、チェコ・フィルはターリヒ時代の栄光を取り戻す。1959年、チェコ・フィルを帯同して来日公演を行い、日本の好楽家の間でも名声を確立した。1968年、アンチェルがアメリカ演奏旅行中にいわゆる「チェコ事件」が起こり、チェコはソ連を中心としたワルシャワ条約機構軍の軍事介入を受ける。アンチェルは旅行先で帰国を断念、亡命の道を選び、同時にチェコ・フィルの常任指揮者も辞任する。1973年7月3日、亡命先のトロントで肝臓病と糖尿病のため65歳で死去。アンチェルといえば「新世界交響曲」のステレオ録音で名高い。ターリヒのモノラルの名演とは異なる演奏で人気を博した。しかしアンチェルにベートーヴェンのイメージはない。アンチェル/ドレスデンsk.のモーツァルトは御存じの方も多いであろう。実に端正で見事な36/39番であった。この運命交響曲もその流れで演奏されている。端正で大袈裟な表現を避け、敢えて歌わず淡々と「運命」という名の劇性を排したスタイルに終始した演奏である。しかし音楽自体が貧相ということはない。鳴らす部分はしっかり鳴らし、適度な余白を持った演奏といえる。ある意味模範的な秀演といえる。
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