商品コード:1368-017[DGG] ヤナーチェクQt. / ハイドン:弦楽四重奏曲39番Hob.III.39, モーツァルト:弦楽四重奏曲14番K.387
商品コード: 1368-017
商品詳細:1950年代後半モノラル期のモーツァルトには、このように良いものが多い時期である。同じレーベルのレーヴェングートQt.を彷彿とさせるデリカシーと、当時としては斬新な爽やかさで、このコーナーへの登場資格は充分に満たしている。過度にきらびやかにならない節度の中で元気よく、しかし美的にはしゃぐこの団体もなかなかのものである。A面のハイドンも特筆に値する内容。この時代は、どの団体にとっても黄金期であったようだ。ヤナーチェク四重奏団は1947年にブルノ音楽院のヴァーシャ・チェルニーの弟子たちによって結成され、当初はJAMU四重奏団という名称であった。四重奏団は当初、ヤナーチェクの室内楽作品を主に演奏していた。1949年、この楽団はモラヴィアの作曲家レオシュにちなんで、ヤナーチェク四重奏団と改名した。発足メンバーは第1Vn:イジー・トラヴニチェク (在任・1947–1973)、第2Vn:ミロスラフ・マティアーシュ (在任・1947–1952)、Va:イジー・クラトチヴィル (1947–(1973 年以降))、Vc:カレル・クラフカ(1947年~(1973年以降))。第1Vnのトラヴニーチェクはヤナーチェクと音楽的な繋がりがあった。彼はモラヴィア四重奏団のメンバーで、ヤナーチェクの弦楽四重奏曲第2番「親密な手紙」を初演し、作曲家と協力して編曲を行ったフランチシェク・クドラチェクの弟子であった。トラヴニチェク は1973年に亡くなり、第1Vn:ボフミル・スメイカル (1973– ?)に交代した。ヤナーチェクQt.は現在も活動している チェコの団体であるが、1973年で一端区切りが付けられる。トラヴニチェクの交代以前に一度だけメンバー交代があっ。1952年第2Vnのミロスラフ・マチャーシュに代わり、アドルフ・シーコラ(在任・1952–1973年以降)。トラヴニチェクが亡くなる以前はこの一度だけであった。ヤナーチェクQt.は1955年に旧西ベルリンのコンクールで優勝したことで、彼らは西側への扉を開き、それ以来、国際的な評価を獲得してきた。その為モノラル期からSUPURAPHON以外にDGG、DECCA、WESTMINSTERなどの西側レーベルに録音を行っている。この録音も1956/1958年という早い時期のDGGへのモノラル録音。彼らは弦楽四重奏団としては珍しく、楽譜を使わず記憶のみで演奏する。1962年に来日している。この録音は彼らの黄金期のさなかであり、明快さと切れ味の良さが両立した落ち着きの中にも音楽の高揚感が滲み出る風格とが一体となった素晴らしい芸格を持った団体である。このLPはモーツァルトは当然ながらハイドンにおけるソノリティに何とも言えない成熟を感じるのである。同じDGGのアマデウスQt.との大きな音楽性の違いが面白く、地域の音楽文化を語っている。
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