商品コード:1377-020[COLUMBIA] O.クレンペラー/ メンデルスゾーン:演奏会用序曲「真夏の夜の夢」Op.21, 劇付随音楽「真夏の夜の夢」(抜粋9曲)

[ 1377-020 ] Otto Klemperer, Philharmonia Chorus, Philharmonia Orchestra, Mendelssohn ‎– A Midsummer Night's Dream


通常価格:¥ 2,750 (税込)

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商品コード: 1377-020

作品名:メンデルスゾーン:劇付随音楽「真夏の夜の夢」(抜粋)/演奏会用序曲Op.21--劇付随音楽Op.61~1.スケルツォOp.61-1, ~1a妖精の行進Op.61-1a, ~3.妖精の歌「舌先裂けたまだら蛇」Op.61-3, ~5.間奏曲Op.61-5, ~7.夜想曲Op.61-7, ~9.結婚行進曲Op.61-9, ~10.葬送行進曲Op.61-10a, ~11道化役者たちの踊りOp.61-11, ~13.終曲Op.61-13
演奏者:O.クレンペラー指揮フィルハーモニアo./cho. H.ハーパー(s)J.ベイカー(ca)
プレス国:英国, United Kingdom
レーベル:COLUMBIA
レコード番号:33CX 1746
M/S:モノラル, monaural
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【英国でのモノラル・再版】---赤白SC音符, グルーヴガード厚, Ⓟ1961, スタンパー/マトリクス:XAX 1901-10N/XAX 1902-5N, 1964年頃の製造分
ジャケット:【英国でのモノラル・オリジナル】---折返表コート厚紙, ジャケ裏年号:なし, ⓅⒸ1961
トピックス:1960年1月28/29日・2月16/18日ロンドン・アビーロード第1スタジオ(Abbey Road Studio No.1) でのモノラル/ステレオ録音, 録音技師: Howard Davidson, プロデューサー:Walter Jellinek /Walter Legge, 1961年Electric & Musical Industries Records Limitedによりコピーライト登録・同年英COLUMBIAからモノラル:33CX 1746(紺/金音符ツヤ浅中溝レーベル・グルーヴガード厚手・当ジャケット入り)にて初リリース→1964年頃赤白SC音符レーベル・同一ジャケット入り(当アイテム), 1961年ステレオ:SAX 2393(B/Sレーベル)により初リリース(高額), これはモノラルの再版(第2~3版)につき安価とした, 1960年代後期にSXLP 30196に番号変更される, ステレオ・SAX 2393(B/Sレーベルは6万円を超える高額盤, フランスでは仏COLUMBIA:FCX 897/SAXF 209で初リリース, ドイツCOLUMBIA:C 91180 /STC 91180は表面隆起の危険因子を含むので注意, 劇付随音楽Op.61は全部で12曲だが途中の情景(メロドラマ)を3曲割愛して9曲としている・当時1枚で全曲を入れることに無理があったのではと思われる, 1927年序曲のみPolydorへのSP録音があった

商品詳細:このジャケを見てドキッとされる方は多いだろう。ステレオSAX 2393/SAXF 209はクレンペラーの中でも取り分け人気が高く、ステレオ・オリジナルは超高額。1961年の発売。実績だけ見ると33CXの方がレア。ステレオと並行発売のモノラルは音質が良く、これを購入された方は最初のオケのクレッシェンドに驚かれ、満足していただけると信じる。更にモノラル特有の中音域に集中したエネルギーが力強さとなってワクワクさせてくれる。録音の多いクレンペラーの中でも、これは特に上出来の一枚!英国ステレオ・オリジナルは非常に高額なことでも知られるクレンペラーの名演。当盤はそのモノラル・初出。1960年ロンドンでの録音。クレンペラーは同じ時期にメンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」も録音していて、それは特に名演とされている。オットー・クレンペラー(1885―1973)は、22歳でグスタフ・マーラーの推挙を受け、プラハのドイツ歌劇場の指揮者、さらにはベルリン・フィルなどに出演する。その後、ナチス・ドイツを嫌い、米国へ亡命を果たす。米国ではロサンジェルス・フィル音楽監督やピッツバーグ交響楽団を指揮し、これらのオーケストラの水準を大きく飛躍させた。しかし1939年に脳腫瘍に倒れ、第2次世界大戦後、ヨーロッパにおいて再起を果たすことになる。ロンドンでの客演が英国EMIのプロデューサーであるウォルター・レッグの目に止まり、1952年にEMIとレコード契約を交わす。1959年からはロンドン・フィルハーモニア管弦楽団の初代首席指揮者として1973年まで君臨し、EMI(英COLUMBIA)に多くの録音を残した。この楽団は英国EMIのレコード作成用楽団だったが、創立者ウォルター・レッグの同社辞職に伴い、レッグは同オーケストラの解散を宣言し(オーケストラは彼個人の所有物だった)、「フィルハーモニア管弦楽団」の名称すら売却してしまった。しかし、楽員たちは「ニュー・フィルハーモニア管弦楽団」(後に名称は元に戻る)として自主運営を始め、クレンペラーも楽団の会長に就任して多くの録音を残した。ある女性奏者は「神様のもとで演奏出来て、そのうえ給料まで戴けるなんて申し訳ない」と漏らしたという逸話も残っている。その独特な性格にもかかわらず、クレンペラーは多くの音楽家から敬意を持って遇された。クレンペラーのメンデルスゾーン/シューマンを一言でいうなら重量級の正統派に尽きる。ジョージ・セルと正反対のスタイルながら何方も名演とされるのはなぜだろう。音楽はどんなアプローチでも聴いた人間が大いなる満足を感じればそれが名演となる。クレンペラーはこちらのスタイルでの一つの完成形を極めた指揮者といえる。本物の名演だろう。

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