商品コード:1378-052[DECCA] R.ルプ(pf)/ ブラームス:Pf協奏曲1番Op.15
商品コード: 1378-052
商品詳細:同曲はDECCAのステレオ録音ではSXLで古い順に、カッチェン/モントゥー(SXL 2172)、カーゾン/セル(SXL 6023)、当盤(SXL 6728)、ルービンシュタイン/メータ(SXL 6797)の4種が存在する。中でも、当盤は1974年の録音ながら、入荷の少ない希少盤。ワールトの振るロンドンpo.は、第1楽章の交響曲とも思える重厚で劇的なテーマを、渋く、衝撃的に進行。ルプは逆に、穏やかで優美な音色。劇的演出に重点を置かれがちなこの曲に、平静な気分をもたらしている。このような展開は珍しい。「語られる」Pf協1番という新潮流!ラドゥ・ルプ(1945 - 2022)はルーマニア・ガラツ出身のピアニスト。1959年にブカレスト音楽院でフロリカ・ムジチェスクに入門、リパッティと同門になる。1960年より1968年までモスクワ音楽院に留学してスタニスラフ・ネイガウスらに師事する。1966年第2回ヴァン・クライバーン国際コンクール、1967年ジョルジュ・エネスク国際コンクール、1969年リーズ国際ピアノ・コンクールにおいてそれぞれ優勝者となった。ルプの名を有名にしたのは、「ヴァン・クライバーン国際コンクールの副賞であるコンサート契約を全部断って帰国した」ことである。これがソ連当局の要請なのかどうかは不明であるが、この行動はかなり話題となった。もちろん、これでアメリカへの演奏はしばらくは叶わなくなったものの、リーズ優勝後にDECCAと契約し、そのLPの名声によってアメリカにデビューするという二重の手間をかけた活動でも知られる。1969年11月のリサイタルでロンドン・デビューを成功させたのを機に、以降はイギリスを本拠に国際的な演奏活動を行う。1972年に米国デビューし、1978年にはザルツブルク音楽祭にも出演する。1973年を皮切りに度々来日している。しかし体調不良も多く、2010年代の来日はドクターストップがかかり1日で帰国した。ロンドン・デビュー当時には地元紙により「千人に一人のリリシスト」と呼ばれ、以降、ルプを形容する表現として使用されている。若手とばかり思っていたラドゥ・ルプだったが、2002年に76歳で亡くなった。来日公演は2013年が最後。2019年に引退を表明していた。日本でも英国でも若手ピアニストとしては異例の人気があった。理由は何よりその情緒豊かなピアニズムに他ならない。スタニスラフ・ネイガウスに指導を受けたロシアン・スクール生なのだが、その事実に触れることはない。何故ならルプのリリシズムがロシアン・スクールと結び付かないからだろう。それだけ個性を伸ばしたピアニストといえる。シモン・ゴールドベルクもそういう面に惹かれたのだろう。録音の多いブラームス:Pf協奏曲の中で1970年代録音という不利な条件を越えた個性的名演奏!
R.ルプの在庫一覧へ









