商品コード:1385-033[PHILIPS] ヴェーグQt. P.カザルス(vc)/ シューベルト:弦楽五重奏曲D.956

[ 1385-033 ] Pablo Casals - Schubert ‎– Streichquintett C-Dur Op. 163 D. 956


通常価格:¥ 3,850 (税込)

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商品コード: 1385-033

作品名:シューベルト:弦楽五重奏曲Op.163 D.956/--1.Allegro Ma Non Troppo--2.Adagio-- | 3.-- 4.Scherzo ( Presto ) - Trio ( Andante Sostenuto )--5.Allegretto
演奏者:ヴェーグQt.(S.ヴェーグ, S.ゼェルディ(vn)G.ヤンツェル(va)P.サボー(vc)), P.カザルス(vc)--(第2Vc)
プレス国:フランス, France
レーベル:PHILIPS
レコード番号:835 099 LY
M/S:ステレオ, stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:8/7
評価/ジャケット:A
キズ情報:
レーベルタイプ:【フランスでのオリジナル】---赤白/銀4本線センター白, グルーヴガード厚手, スタンパー/マトリクス: 1Y 4/2Y 2, 1968年頃製造分・仏PHILIPSプレス(フランス最古と思われる)
ジャケット:【フランスでのオリジナルと思われる】---三方開両面厚紙背黒布貼, 11時に黄色□ Collection Trésors Classiques Gravure Universelle - STÉRÉO/MONO, ⓅⒸなし, ジャケット裏年号:なし
トピックス:1961年7月フランス・プラド・サン・ミシェル・ド・キュクサ修道院でのモノラル/ステレオ・ライブ録音, プラド・カザル音楽祭でのライブ録音, オランダでは1963年頃N.V. Philips Phonografische Industrie.によりコピーライト登録・同年A 02208 L/835 099 AY((Hi-Fi STEREOレーベル)にて初リリース, フランスでは恐らく1968年頃ステレオのみ1968年頃仏PHILIPS:835 099 LY(赤白/銀4本線土手センター白レーベル・当ジャケット入り)にて初リリースと思われる(当アイテム)→1969年頃赤白/銀4本線土手なしセンター白レーベル・当ジャケット入りに変更と思われる→1970年頃6500 153に変更, 1952年のプラド・カザルス音楽祭でのモノラル旧録音が存在(Isaac Stern, Alexander Schneider 他)・カザルスには2回目の録音となる, ステレオ・オーディオファイルプレス! 演奏:★★★★★, 音質:★★★★+

商品詳細:1950年、A.シュナイダーとM.ホルショフスキはフランスの寒村プラドでのカザルス音楽祭を提案し、実現した。音楽祭は以後毎年開かれ、カザルスがプエルトリコに本拠を移した1957年以降は、自身がマールボロ音楽祭を開く。プラド音楽祭は、1969年まで継続された。後期はS.ヴェーグ等が主体に。初期のアクセントの強いカザルス節は後退し、ヴェーグが主導する美しい造形美を持った五重奏。ただし、カザルスの意志のはっきり表れる、荒削りだが魂のこもった五重奏。これは1961年の音楽祭のライヴ録音。この年はベートーヴェンやシューベルトなどが演奏された。カザルスの最後の音楽祭出演は90歳記念の1966年だった。1976年にはプラド音楽アカデミーが設立され、若い演奏家のための器楽・室内楽のマスタークラスが設置された。プラド・カザルス音楽祭とは別に1957年からカリブ海の島・プエルトリコのサンファンにて行われるカザルス音楽祭もあり、プラドで行われるカザルス音楽祭はプラド・カザルス音楽祭と呼び区別している。1958年9月、81歳のパブロ・カザルスはベートーヴェンの生地ボンで行われたベートーヴェン音楽祭に参加し、ベートーヴェンの作品を公開録音した。その時1930年代から室内楽のパートナーを務めたポーランドのミェチスワフ・ホルショフスキ(pf)が共演。ハンガリーのヴァイオリニスト、シャーンドル・ヴェーグが参加した。1961年のプラド・カザルス音楽祭でベートーヴェンのチェロ・ソナタ第1番をヴィルヘルム・ケンプと、ピアノ・トリオ『幽霊』をヴェーグとスイスのピアニスト、カール・エンゲルと演奏した。シューベルトの弦楽五重奏曲ではシャーンドル・ヴェーグがヴェーグQt.のシャーンドル・ゼェルディ、ジョルジュ・ヤンツェル、パウル・サボーを率い、カザルスは第2チェロとして参加した。プラド・カザルス音楽祭は現在まで存続するが、カザルスの出演は1966年が最後となる。何故ならカザルスは1955年プエルトリコへ本拠地を移していくようになる。プエルトリコはカザルス最愛の母の故郷でもあり、晩年を看取ってくれた愛妻マルタの故郷でもある。カザルス音楽祭は2つ並存して、1957年~プエルトリコ・カザルス音楽祭が発足した。この年に心臓発作に襲われ、出演不能となってしまう。この年はシュナイダーがコンサートマスターの席から指揮して音楽祭をこなした。1959年から指揮活動に復帰し、1960年、ルドルフ・ゼルキン主宰のマールボロ音楽祭に初めて参加し、以降カザルスはマールボロ音楽祭に主軸を移す。米COLUMBIAはカザルス指揮マールボロ音楽祭祝祭o.のバッハ作品やメジャー交響曲の録音を行った。ゼルキンの要請だったらしい。バッハ:マタイ受難曲やベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」の音源もあるらしい。1973年7月マールボロ音楽祭で数曲の交響曲の演奏を行った、同年10月にプエルトリコのサン・ファンで亡くなった。このシューベルトでは自身は第2Vc奏者として参加、他4人はヴェーグQt.である。自身の影響を減らし、主導をヴェーグQt.に譲った演奏だがそれでもプラド・カザルス音楽祭の録音で顕著にみられる、カザルス節が見え隠れする演奏である。

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