商品コード:1385-002[Ducretet Thomson] J.C.ブノワ(br) / ラヴェル:歌曲集/博物誌, マダガスカル先住民の歌
商品コード: 1385-002
商品詳細:ラヴェルの2つの歌曲集を収めたDucretet Thomsonの10"盤で弊社30年の歴史でも2回目の入荷という希少盤である。「博物誌」(Histories naturelles)はジュール・ルナール(1864-1910)の散文詩集「博物誌(Histoires naturelles)」の中から5つの詩を選んで曲を付けたもの。くじゃく--コオロギ--白鳥--カワセミ--ホロホロ鳥と題されたピアノ伴奏の5曲で1906年の作品である。ラヴェルらしさが満載の近代フランス歌曲の代表作といえる作品。散文詩の持つ内容を描写的に描いた印象派的な絵画のような淡く簡潔な印象を与える。メロディーラインより語りが重視されたスタイル。歌い手次第で聴き手の印象が大きく変わりうる歌曲といえる。全5曲には共通の通奏低音が流れており、一つの作品のようである。B面の「マダガスカル先住民の歌」は1926年にかけて作曲した全3曲からなる歌曲集である。各曲のテクストには18世紀の詩人エヴァリスト=デジレ・ド・パルニーの詩がそれぞれ使われており、独唱者1名、フルート奏者1名(ここでは2名による)、チェロ奏者1名、ピアニスト1名の計4名によって演奏される。なお、初演ではメゾソプラノのジャーヌ・バトリによって歌われているが、独唱のパート名には指定はなく男性歌手が歌うことが多い。ラヴェルはこの曲の出来については、自分の最高傑作の一つであると考えていた。パルニーの詩集はインドに住んでいた1787年の作品で、序文と12の詩から成っている。序文ではマダガスカル島の風土や人々の暮らしなどを紹介した後、「私は彼らの習慣やしきたりについての情報を与えてくれるようないくつかの歌を収集し、翻訳した。」とある。だが実際にマダガスカル島を訪れたことがなく、またマダガスカル語も話さなかった為、詩は翻訳ではなく全てパルニーの創作であると考えられている。ラヴェルはこの詩集から、「シャンソン12」、「シャンソン5」、「シャンソン8」の3篇を選び曲付けした。3つの曲に連続するストーリーは存在していない。音楽学者のロジャー・ニコルスは、第1曲と第3曲の語り手は「明らかに男性」であり、第2曲についても男性の方がよりふさわしいと思われるにも関わらず、ラヴェルが初演時に女性の独唱者を選んだことに疑問を呈している。曲は依頼主であるクーリッジ夫人に献呈された。1932年にはソプラノ歌手マドレーヌ・グレイの歌、ラヴェルの監修により録音されている。 かつては『マダガスカル島の土人の歌』という日本語訳がなされていた。ここで歌うバリトンのジャン・クリストフ・ブノワ( 1925- 2019)はパリ生まれ。父のアンリ・ブノワはヴィオラ奏者で、1920年代にはカペー四重奏団のメンバーであった。ブノワはパリ国立音楽院で学び、 オリヴィエ・メシアン(和声法)、ノエル・ガロン(対位法)、ガブリエル・デュボワ(声楽)、エミール・ルソー(声楽)に師事した。コンサートで合唱団の一員として歌った後、1950年代に舞台デビューを果たし、当初はフランス各地を巡業した。1954年から1977年まで、エクス=アン=プロヴァンス国際抒情芸術フェスティバルにほぼ毎年出演した。1956年にはザルツブルク音楽祭でコンサートを行った。1958年にはミラノ・スカラ座に招かれ、モーリス・ラヴェル作曲『スペイン時間』のトルケマダ役を歌った。1963年と1968年にはオランダ音楽祭、1967年にはロンドンで公演した。ブノワは演出家としても活動し、ラジオ番組にも参加し、1970年から1990年まではパリ音楽院の教授も務めた。フランス・オペラに多数参加した。音楽院在学中から歌手活動を行う。フランク・マルタンからオラトリオ『ピラト』を献呈されたり、ジャン=ミシェル・ダマーズの『マダム・ド…』の世界初演に参加したりするなど、同時代の音楽を得意とした。1970年から1990年まで母校のパリ音楽院で教鞭を執った。他器楽陣も当時のトップメンバー。ブノワの声は高域が綺麗に出る音域を持ち、全体の声も太くなく清楚な印象。声質には温かみがあり、モラーヌとはタイプが異なる。洗練さより実体感が鮮明なバリトンな歌手。非常に希少なDucretet Thomsonの10"!知名度は低いが一度聴いたら忘れないバリトン歌手 !
J.C.ブノワの在庫一覧へ









