商品コード:1393-023n[MELODIYA] S.リヒテル(pf)/ ブラームス:Pf協奏曲2番Op.83

[ 1393-023n ] Sviatoslav Richter, Orchestre De Paris, Lorin Maazel - Brahms ‎- Piano Concerto No. 2 In B Flat


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商品コード: 1393-023n

作品名:ブラームス:Pf協奏曲2番Op.83/--1.Allegro Non Troppo--2.Allegro Appassionato-- | --3.Andante--4.Allegretto Grazioso
演奏者:S.リヒテル(pf)L.マゼール指揮パリo.
プレス国:旧ソ連, Soviet Union
レーベル:MELODIYA
レコード番号:CM 01989
M/S:ステレオ, stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:8/7
評価/ジャケット:A
キズ情報:B面6時に無音スレ
レーベルタイプ:【旧ソ連でのオリジナル世代】---紺/銀DL(ダブルレター), Made in USSR, グルーヴガード厚, ГОСТ 5289-なし, TУ-Φ-16, スタンパー/マトリクス:33CM 01989 3-3/33CM 01990 3-1, 英語表記・輸出仕様, 1970年頃製造分(最古), モスクワ・オールユニオン「 Vsesoyuznaja Studija Gramzapisi」シサユーズナヤ工場製作
ジャケット:【旧ソ連でのオリジナル世代】---両面紙ペラ(モスクワ・オールユニオン), Ⓒなし, 露語表記・国内仕様, ジャケット裏年号:Apt.なし Зак.なし, 製作/印刷:Всесоюзная Студия Грамзаписи
トピックス:1969年10月24-28日パリ・サル・ワグラムでのステレオ録音, MELODIYA=EMIとの共同製作録音, 録音技師:Allan Stagg, プロデューサー:Christfried Bickenbach / Eric Macleod, EMI側では1970年頃フランス:Les Industries Musicales Et Electriques Pathé Marconi. Parisによりコピーライト登録・同年La Voix De Son Maître:2C 069-02040(カラー切手ニッパーレーベル・赤枠三方開両面コート厚紙・ジャケット入り)にて初リリース, 英国では1970年頃His Master's Voice:ASD 2554(カラー切手ニッパーレーベル・三方折返表コートペラ・ジャケット入り)にて初リリース, 旧ソ連では1970年頃MELODIYA:CM 01989(DLレーベル世代)の当装丁にて初リリース(当アイテム), これは旧ソ連側のオリジナル!, ETERNA:826 975-6でリリースされた, マスタリングはロンドンのアビーロード・スタジオで行われた, 機材はNeumann VMS82 lathe fed an analogue pre-cut signal, Studer A80 tape deckなどが使用された, MELODIYAは独自マスタリングと思われる, ETERNAはMELODIYA支給の原盤使用, 仏VSMはHMVのマスタリングをそのまま使用してプレス工程のみフランス・パテで行ったと思われる

商品詳細:ブラームス最盛期の代表作であり、難曲としても知られる協奏曲2番は、ピアノと管弦楽が対等に扱われ、まさに交響曲を思わせる大曲。この1969年ロリン・マゼールとの共演は、リヒテルの同曲の数ある録音の中で最後のものと思われる。少々ゆったりめのテンポだが豪快で力強い打鍵、溢れる色彩感。圧倒的な存在感を示すリヒテルにマゼールも負けじと挑み掛かる白熱の共演。マゼール/パリ管との珍しい組み合わせ。EMI系録音のMELODIYA発売分。録音は1969年リヒテルがパリに来てL.マゼール指揮パリso.と共演したMELODIYA=EMIとの共同製作録音の形となった。各国EMIレーベルとMELODIYAからそれぞれ1970年頃ステレオ盤のみ発売された。この録音はパリ管弦楽団の生い立ちと大いに関係がある。パリ管弦楽団は1967年、パリ音楽院管弦楽団を発展的に解消し、フランス文化省の大臣アンドレ・マルローと音楽局長のマルセル・ランドスキの要請により、シャルル・ミュンシュを音楽監督に迎えて新たに設立された。この際に団員の7割近くが入れ替わり、全仏から優秀な奏者が選抜されて新加入している。本拠地も当時のでサル・プレイエルから19区のラ・ヴィレット公園内にある「シテ・ド・ラ・ミュジック」に変更された。こうして1967年シャルル・ミュンシュ を初代音楽監督に迎え、すぐにブラームス交響曲第1番、ベルリオーズの幻想交響曲等が録音され高い評価を得た。この1969年に予定されていたブラームス:Pf協奏曲2番も当然ミュンシュが指揮をするはずだった。更には1970年に訪日まで決まっていたらしい。ところが異常事態が発生し、ミュンシュが1968年11月にパリ管との米国楽旅中にリッチモンドで心臓発作を起こし客死してしまった。そこで急遽カラヤンに音楽監督を依頼したのである。1969年から1971年務める事となったのだが、忙しいカラヤンは全てに日程をこなすこができず、マゼールに代役を頼むこととなった。但しそこには前月の1969年9月15-17日にベルリンで行われたベートーヴェン:三重協奏曲のEMI録音における軋轢があったとされる。リヒテルは1969年10月パリでのブラームス:Pf協奏曲2番のカラヤンとの録音を拒否したらしい。マゼールは当時ベルリン・ドイツ交響楽団首席指揮者であり、パリでの騒動とは無関係であったが、リヒテルと対等なレベルの指揮者としてマゼールを起用することで話がついたらしい。従ってこのブラームス:Pf協奏曲2番の録音はオケだけが予定通りで演奏家は一回限りのスポット出演のような形で録音された。予定外のキャストとはいえ、そこはプロの音楽家である。仕上がりに大きな瑕疵はなく、内情を知らずともリヒテル/マゼール/パリo.というなかなか無い共演として楽しめる1枚である。カラヤン以降パリo.の音楽監督は政治的リスクの小さいと思われる指揮者が続く事になる。ゲオルク・ショルティ (1972年 - 1975年)→ダニエル・バレンボイム (1975年 - 1989年)→セミヨン・ビシュコフ (1989年 - 1998年)→クリストフ・フォン・ドホナーニ (1998年 - 2000年)--と続く。

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