商品コード:1398-020[COLUMBIA] O.クレンペラー/ メンデルスゾーン:「真夏の夜の夢」序曲Op.21, 劇付随音楽「真夏の夜の夢」Op.61(抜粋9曲)

[ 1398-020 ] Mendelssohn, Otto Klemperer, Philharmonia Orchestra And Chorus With Heather Harper And Janet Baker


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商品コード: 1398-020

作品名:メンデルスゾーン:序曲「真夏の夜の夢」Op.21, 劇付随音楽「真夏の夜の夢」Op.61(全13曲)~9曲/--スケルツォOp.61-1, メロドラマと妖精の行進Op.61-2, 歌と合唱「舌先さけたまだら蛇」Op.61-3 | 間奏曲Op.61-5, 夜想曲Op.61-7, 結婚行進曲Op.61-9, メロドラマと葬送行進曲Op.61-10, 道化役者たちの踊りOp.61-11, 終曲「ほのかな光」Op.61-13
演奏者:O.クレンペラー指揮フィルハーモニアo. H.ハーパー(s)J.ベイカー(ca)
プレス国:フランス, France
レーベル:COLUMBIA
レコード番号:SAXF 209
M/S:ステレオ, stereo
枚数・大きさ:12インチ, 30cm×1
評価/レコード:6 : 両面に軽度の難
評価/ジャケット:B : 軽度の汚れあり
キズ情報:A面2時に極小10+5+23回出るスレと点, B面6時に極小~小21回出るスレ
レーベルタイプ:【フランスでのステレオ・オリジナル】---紺/銀音符Stéréo段付, 6時にMade in France, グルーヴガード厚手, 表スタンパー/マトリクス:YAX 539-6/YAX 540-3, Mスタンパー・M6 215619/M6 216987, 1961年製造分・Mスタンパーとの2種並存のPathéプレス(フランス・ステレオ最古)
ジャケット:【フランスでのステレオ・オリジナル】---棒付厚手ボード(粗目紙厚手・ザラザラ表面), 5時に横長ステレオ・シール付, ⓅⒸ)なし, ジャケット裏年号:なし(フランス・ステレオ最古)
トピックス: 1960年1月28・29日・2月16・18日ロンドン・アビーロード第1スタジオ(Abbey Road Studio No.1) でのモノラル/ステレオ録音, 録音技師: Howard Davidson, プロデューサー:Walter Jellinek /Walter Legge, 1961年Electric & Musical Industries Records Limitedによりコピーライト登録・同年英COLUMBIAからモノラル:33CX 1746(紺/金音符ツヤ浅中溝レーベル・グルーヴガード厚手・当ジャケット入り)にて初リリース→1964年頃赤白SC音符レーベル, 1961年ステレオ:SAX 2393(B/Sレーベル)により初リリース(高額)→1960年代後期にSXLP 30196に番号変更される, ステレオ・SAX 2393(B/Sレーベルは6万円を超える高額盤, フランスでは1961年仏COLUMBIA:FCX 897/SAXF 209(当装丁)で初リリース, ドイツCOLUMBIA:C 91180 /STC 91180は表面隆起の危険因子を含むので注意, 劇付随音楽Op.61は全部で13曲だが途中を割愛して9曲としている・当時1枚で全曲を入れることに無理があった, 1927年序曲のみPolydorへのSP録音があった, これはフランスでの初年度リリース分ステレオ・オリジナル, SAXF 209で盤質7以上は未だに入荷ない, 演奏:★★★★★, 音質:★★★★★

商品詳細:このジャケを見てドキッとされる方は多いだろう。ステレオSAX 2393/SAXF 209はクレンペラーの中でも取り分け人気が高く、ステレオ・オリジナルは超高額。1961年の発売。満足していただける演奏・音質と信じる。録音の多いクレンペラーの中でも、これは特に上出来の一枚!英国ステレオ・オリジナルは非常に高額(6万円超え!)なことでも知られるクレンペラーの名演。1960年ロンドンでの録音。クレンペラーは同じ時期にメンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」も録音していて、それは特に名演とされている。オットー・クレンペラー(1885―1973)は、22歳でグスタフ・マーラーの推挙を受け、プラハのドイツ歌劇場の指揮者、さらにはベルリン・フィルなどに出演する。その後、ナチス・ドイツを嫌い、米国へ亡命を果たす。米国ではロサンジェルス・フィル音楽監督やピッツバーグ交響楽団を指揮し、これらのオーケストラの水準を大きく飛躍させた。しかし1939年に脳腫瘍に倒れ、第2次世界大戦後、ヨーロッパにおいて再起を果たすことになる。ロンドンでの客演が英国EMIのプロデューサーであるウォルター・レッグの目に止まり、1952年にEMIとレコード契約を交わす。1959年からはロンドン・フィルハーモニア管弦楽団の初代首席指揮者として1973年まで君臨し、EMI(英COLUMBIA)に多くの録音を残した。この楽団は英国EMIのレコード作成用楽団だったが、創立者ウォルター・レッグの同社辞職に伴い、レッグは同オーケストラの解散を宣言し(オーケストラは彼個人の所有物だった)、「フィルハーモニア管弦楽団」の名称すら売却してしまった。しかし、楽員たちは「ニュー・フィルハーモニア管弦楽団」(後に名称は元に戻る)として自主運営を始め、クレンペラーも楽団の会長に就任して多くの録音を残した。ある女性奏者は「神様のもとで演奏出来て、そのうえ給料まで戴けるなんて申し訳ない」と漏らしたという逸話も残っている。その独特な性格にもかかわらず、クレンペラーは多くの音楽家から敬意を持って遇された。クレンペラーのメンデルスゾーン/シューマンを一言でいうなら重量級の正統派に尽きる。ジョージ・セルと正反対のスタイルながら何方も名演とされるのはなぜだろう。音楽はどんなアプローチでも聴いた人間が大いなる満足を感じればそれが名演となる。クレンペラーはこちらのスタイルでの一つの完成形を極めた指揮者といえる。本物の名演だろう。

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