商品コード:1403-062[RCA] N.アンリオ・シュヴァイツァー(pf) C.ミュンシュ/ プロコフィエフ:Pf協奏曲2番Op.16, バーバー:メディアの復讐の踊りOp.23a
商品コード: 1403-062
商品詳細:ジャケットにはピアニスト名がニコール・アンリオと表記されているが、それは旧性(録音時は結婚前だった)であり、数々の録音で共演しているニコール・アンリオ=シュヴァイツァーである。録音の1年後に結婚しシュヴァイツァー姓となる。女性ピアニストのニコール・アンリオ=シュヴァイツァー(1925 - 2001)はフランス出身のピアノ奏者。録音時は旧姓はニコール・アンリオであった。父はエミール・アンリオ、母はフランソワーズ・リシェ。指揮者のシャルル・ミュンシュは叔父にあたる親族。6才でマ・メール・ロワのセカンド・ピアノを弾いてラヴェルと連弾したという神童だった。パリ音楽院でマルグリット・ロンにピアノを学び、 1938年、13歳でピアノで一等賞を得て卒業した。1939年にリュクサンブールのガブリエル・フォーレ国際コンクールでジョルジュ・ファラゴとジネット・ドワイアンに次ぐ第3位を獲得し、本格的な演奏活動は第二次世界大戦後まで持ち越されることとなった。戦時中はレジスタンス活動に協力していた。1948年にシャルル・ミュンシュの指揮するニューヨーク・フィルハーモニック交響楽団の演奏会でアメリカ・デビューを飾り、以後ミュンシュのお気に入りのピアニストとして長期にわたりツアーに同行し共演するようになった。1967年にシャルル・ミュンシュがパリ管弦楽団を結成すると、彼女は同楽団のソリストとなった。ニコール・アンリオは1958年にアルベルト・シュヴァイツァーの甥であるジャン=ジャック・シュヴァイツァー(1920 - 1993)と結婚しシュバイツァー姓となる。翌年、彼女はジャン=フィリップ・シュバイツァーという息子を出産した。1970年からリエージュ音楽院、次いでブリュッセル音楽院のピアノ教授となり、1975年と1976年にはパロマ・オシェア・サンタンデール国際ピアノ・コンクールの審査員を務めた。2001年ルーヴシエンヌで亡くなり、シャルル・ミュンシュと同じ墓に眠った。録音こそ少ないがティッサン・ヴァランタン(1902 - 1987)と共通するフランス作品のスペシャリストとして大物である。親戚ということもありシャルル・ミュンシュと普通に共演出来た唯一のピアニストであった。これはシュヴァイツァーの珍しいプロコフィエフのPf協奏曲2番である。LPで聴ける最高ランクの演奏とみて間違いない。クリスタルの如きシュヴァイツァーのソロが名品を物語る! バーバー:「メデアの復讐の踊り」はバレエ音楽「メデア」Op.23~演奏会用のバレエ組曲(7曲)を編曲したが、後に単一楽章の楽曲に改作したのが「メデアの復讐の踊り」である。組曲版よりも楽器編成が拡張されている。
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