商品コード:1407-061n[HUNGAROTON] D.バルトーク・パーストリ, M.コメンソリ(pf) / バルトーク:ミクロコスモス(抜粋18曲), ミクロコスモスからの7つの小品, 6つのブルガリア舞曲
商品コード: 1407-061n
商品詳細:1959年の録音と1980年の録音を集めた「ミクロコスモス」の抜粋集他である。ピアノはディッタ・バルトーク=パーストリ(1903-1982)はオーストリア=ハンガリー帝国のリマソムバト(現スロバキア)の生まれ。ブダペスト音楽院でピアノを学び、1921年に学位を取得すると更なる研鑽のため1922年にハンガリー王立音楽院に入学、そこでベーラ・バルトークの個人指導を受けるようになる。バルトークは当時マールタ・ツィーグレル(1893-1967)という妻がいたが1923年6月に離婚し1923年に42歳でディッタと結婚した。ディッタは19歳であった。つまりディッタ・バルトーク=パーストリはバルトークの2番目の妻である。2人の唯一の子供、ペーテル・バルトークはのちに米国で録音技師として活躍する。ディッタは独奏者としてのキャリアを捨てはしたものの、夫のピアノ・デュオのパートナーとなった。2人はピアノ・デュオとして欧州で多数の演奏会を行った。バルトークは1940年に『ミクロコスモス』から7曲を抜粋して2台ピアノ用編曲を行い、自らとディッタが演奏するレパートリーに加えた。その7曲は当LPのB面に収められている。1940年に夫妻はナチスから逃れる為、アメリカ合衆国へと移住した。2人は1943年1月31日にカーネギー・ホールにおいてニューヨーク・フィルハーモニックとの共演で『2台のピアノと打楽器のためのソナタ』の管弦楽編曲版である2台のピアノのための協奏曲を初演した。これがバルトークの最後の公開演奏となった。バルトークが1945年に亡くなるとディッタは1946年にブダペストへ戻って生涯をその地で暮らし、亡き夫の記憶を普及させることに身を捧げた。バルトークの死から37年後、ディッタは1982年に79歳でブダペストで生涯を終えた。B面でディッタと共演のピアニスト、マリア・コメンソリ(1905-1982)はハンガリー人ピアニスト。彼女もバルトークの弟子であり、ハンガー放送局での録音もある。ディッタはHungarotonに複数の録音を残すが全てバルトーク作品である。「ミクロコスモス」をHLPX 1033–35(3枚組・1961頃年発売)で全曲録音している。これはその後1980年に行われた「『ミクロコスモス』から7曲を抜粋して2台ピアノ用編曲・7つの小品」と2台ピアノ曲「ブルガリアのリズムによる6つの舞曲」のB面の2曲をリリースする為にA面に1959年の既録音をカップリングしたLPと思われる。A面の「ミクロコスモス」からの抜粋は全曲録音であるHLPX 1033–35からの抜粋と思われる。
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