商品コード:1429-035[VSM] A.ワイセンベルク(pf) / ラヴェル:Pf協奏曲 ト長調, プロコフィエフ:Pf協奏曲3番Op.26
商品コード: 1429-035
商品詳細:1966年パリで奇跡の復活を遂げたピアニスト、ワイセンベルク(1929年ブルガリア生まれ)。当時パリo.のシェフを兼任していたカラヤンに見初められ、1970年パリで初めてチャイコフスキー:Pf協奏曲1番の共演録音を行った。以来ワイセンベルクは殆どカラヤンの専属ピアニストのような状態になるが、プレッシャーの中でよくその期待に応えた。アレクシス・ワイセンベルク(1929- 2012)は、ブルガリア生まれのユダヤ人ピアニスト。苦労の末、米国に脱出した過去を持つ。その後、1946年にニューヨークのジュリアード音楽院に入学。サマロフ、ランドフスカ、そしてシュナーベルの指導を受け、卒業した時には、ワイセンベルクは各国から招かれるほど有名になっていた。1947年にレーヴェントリット国際コンクールで優勝、同年にジョージ・セル指揮のニューヨーク・フィルハーモニックと共演してデビュー。1956年、彼はパリに移り住み、数年間は主要な舞台から基本的に遠ざかり、技術とレパートリーの研鑽に励んだ。この時、彼はこう記している---「若い頃、私は新しい作品を非常に早く習得し、あまりにも早く演奏しすぎた。10年後には、私のレパートリー全体が過剰に演奏され、十分に研究されていない状態になっていただろう。50歳になってもまだ「将来有望なピアニスト」のままでいるのは嫌だったのだ。」---。1966年パリでのリサイタルで演奏活動に復帰しEMIと契約、1970年からはEMIにレコーディングを精力的に行い、一流ピアニストとしての地位を不動にした。EMI系と並行して1967-1971年頃までRCAに僅かな録音を入れるも1980年代中期までEMI系に籍を置き、多くの録音を残した。様々な指揮者と共演したワイセンベルクだが1970年という早い時期に小澤征爾指揮パリo.と共演していた。この年に入れたのはカラヤンとのチャイコフスキー:Pf協奏曲1番だけでなく、小澤征爾指揮パリo.との共演もあったようだ。カラヤンに認められたのはワイセンベルクだけでなく小澤征爾もまたずっと以前の1960年10月に開催されたヘルベルト・フォン・カラヤンの弟子を選出する国際コンクールで優勝し、カラヤンに師事している。アメリカに渡ったのはその後になる。これはカラヤンに認められた音楽家同志の共演となった。同年のカラヤンとの共演ほどの話題性はないが、内容ではこちらがチャイコフスキー:Pf協奏曲1番を凌駕している印象。チャイコフスキーではカラヤンの気を引く為のがむしゃらさが前面に出てしまっていたが、こちらはワイセンベルクが復活以前の研鑽で身に着けた音楽的なパッションが滲み出たご機嫌な演奏といえる。本拠地を持たない小澤は恐れるような相手ではなかったのだろう。ピアニストの素の状態が出た自然体の演奏が良い。
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